

もしかしたら私は「旅がしたいから、働いているのかも…」と。そんな体調不良により床に臥せ、人生を振り返る「間」が出来、急に20代の頃に経験した「西日本37日間の一人旅」の記憶が蘇ってきたのです。段ボールの中からメモを探し出し、記憶と記録をたよりに、「携帯時刻表」と照らし合わせる過去の旅。それは…


当時は携帯も持っておらず、公衆電話を利用、途中で何度もコインランドリーで洗濯など、旅のメモが何ともリアル。予算は50~60万円用意していたと記憶しています。宿は2~3日先までは予約し、旅の途中で行き先と宿泊先を選んでいました。最初から37日間と決めていたわけではないようで、京都の葵祭の5月15日に合わせ、京都へ戻ったようです。
そのメモには、大したことは書かれていません。それでも、そこからは「楽しさと未熟さと若さ」があふれ出ていて、自分のことなのに感動してしまいました。今なら、もう少し色んな意味で“器用”に旅ができますが、当時の私の懸命さの中に何かを見つけた気がしました。
4月8日水曜日 第1日目 雨
京都16時出発、山陽道下り新快速 姫路18時ごろ着
18:20頃 ホテル着 HIMEJIグリーンホテル
交通費0円 宿泊代6700円 電話350円 食事ジュース150円 シール180円
パン105円 プレゼントパン600円
ビジネスホテルだなあ~という感じ。部屋は狭いが机が広くて良い。
お風呂もトイレも広い。
明日行く姫路城がライトアップされていて美しい。窓を開けすぎて閉まらなく
なり、フロントを呼んだ×××情けない。最初からハプニング。
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…と、こんな感じでメモが37日間残っています。行った場所の感想を添えている日もあるし、文字の乱れから疲れ果てていると読み取れる日もあります。
37日間の記録をここで長々と紹介するわけにはいかないので、紙焼きの写真が残っていた第18日目の大分・熊本の県境にある「杖立温泉」と第30日目の宮崎「高千穂」を紹介します。

長崎 原爆資料館 平和公園 出島 浦上天主堂
昼過ぎ、杖立へ向かうがバスがない…ヤバい こいのぼり
市電300 食事80+120 見学200 ハガキ500
昼食996 電車3570+1300ぐらい 往復バス1700
靴下1027 本997 宿泊13850 心付1000 飲み物756
チェックインが遅かったにも関わらず、みな親切だった。
今日が一番心細かった。真っ暗な山道を40分。
でも日本一のこいのぼりに会えた、感激。

高森~下田ふれあい温泉~高森~高千穂
~本屋敷
バス1440+1210 電車370+370
入浴400 飲食90+120
荷物100+300 昼食650 ハガキ420
定期観光1150 宿泊8105
ふれあい温泉よし。高千穂のバスターミナル何度も寄る。ランチ、久しぶりのオム
ライスうまかった。本屋敷は、かやぶきの屋根が(花丸の絵)、川魚がGOOD、
食事は一番良い。
30日目の高千穂。今なら多少の神話や神様の知識がありますが、当時は景色を見に行っただけと思われます。定期観光を利用しているのは、車のない一人でのアプローチが困難だったからでしょう。面白いのは、ランチのオムライスにわざわざ「うまい」とコメントしていること、和食続きで、さぞかし洋食が恋しかったのでしょうね。


20年も経過しているので、思い出が薄れ、忘れてしまったことも沢山あります。寂しいけれど、仕方がないですね。でも、そのメモの中の1ページに、大きな字で「思い出は消えて行くものだから、どんどんつくり続けなければいけない」と書き込まれていました。誰かに言われたのか? 自分で当時、旅の途中でそう思ったのか? 私から私へのメッセージ。
「うん、そうだ、だから旅を続けよう! そのためには健康第一だなあ~」と今回のダウンで痛感。20年前の私の旅から原点を思い出した気がします。