風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
「生涯、旅人でいたいのだ!」20年前の37日間の旅に学ぶ
 この1か月、実は体調を崩していました。東京から金沢、七尾へ、その足で京都へと計画していた旅は延期。「長谷川等伯の足跡を追う旅」は何年も前から楽しみにしていたのに…「中止でなく延期!」と自分を慰め、安静にしていました。その臥せている最中、枕元に常に置いてパラパラとめくり私の心の支えとなったのは「携帯全国時刻表」。電車の乗り継ぎを考えるだけで、気持ちが明るく前向きになりました。しかも、全くの未知の世界ではなく、一度は47都道府県、行っているので、距離感や風土、風景が浮かぶ地域もあります。

 もしかしたら私は「旅がしたいから、働いているのかも…」と。そんな体調不良により床に臥せ、人生を振り返る「間」が出来、急に20代の頃に経験した「西日本37日間の一人旅」の記憶が蘇ってきたのです。段ボールの中からメモを探し出し、記憶と記録をたよりに、「携帯時刻表」と照らし合わせる過去の旅。それは…

旅の最終地 兵庫「城崎」
 今から20年前の1998年4月8日から5月14日まで。京都を起終点とする「西日本の旅」。山陽を西へ、広島から四国へ渡り、四国を一周して山口に戻り、山口から九州へ。九州を一周して、山陰に入り、山陰を北上。城崎から京都へ戻るという37日間の旅でした。

 当時は携帯も持っておらず、公衆電話を利用、途中で何度もコインランドリーで洗濯など、旅のメモが何ともリアル。予算は50~60万円用意していたと記憶しています。宿は2~3日先までは予約し、旅の途中で行き先と宿泊先を選んでいました。最初から37日間と決めていたわけではないようで、京都の葵祭の5月15日に合わせ、京都へ戻ったようです。

 そのメモには、大したことは書かれていません。それでも、そこからは「楽しさと未熟さと若さ」があふれ出ていて、自分のことなのに感動してしまいました。今なら、もう少し色んな意味で“器用”に旅ができますが、当時の私の懸命さの中に何かを見つけた気がしました。

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 4月8日水曜日 第1日目 雨
 京都16時出発、山陽道下り新快速 姫路18時ごろ着
 18:20頃 ホテル着 HIMEJIグリーンホテル

 交通費0円  宿泊代6700円 電話350円 食事ジュース150円 シール180円
 パン105円 プレゼントパン600円

 ビジネスホテルだなあ~という感じ。部屋は狭いが机が広くて良い。
 お風呂もトイレも広い。
 明日行く姫路城がライトアップされていて美しい。窓を開けすぎて閉まらなく
 なり、フロントを呼んだ×××情けない。最初からハプニング。
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…と初日は書かれてありました(原文そのまま)。なぜ交通費が0円なのか? オレンジカードを持っていたのか? 電子マネーのはずはない、謎。プレゼントパンは出発直前に人にあったのであろうか。今でも時々、窓の開閉が「?」のホテルがありますよね。飛び降り防止なのは分かりますが、火事・地震の時は怖いなと考えさせられます。

…と、こんな感じでメモが37日間残っています。行った場所の感想を添えている日もあるし、文字の乱れから疲れ果てていると読み取れる日もあります。

 37日間の記録をここで長々と紹介するわけにはいかないので、紙焼きの写真が残っていた第18日目の大分・熊本の県境にある「杖立温泉」と第30日目の宮崎「高千穂」を紹介します。

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18日目「写ルンです」で撮影した杖立温泉
 4月25日土曜日 第18日目 曇り
 長崎 原爆資料館 平和公園 出島 浦上天主堂
 昼過ぎ、杖立へ向かうがバスがない…ヤバい こいのぼり

 市電300 食事80+120 見学200 ハガキ500
 昼食996 電車3570+1300ぐらい 往復バス1700
 靴下1027 本997 宿泊13850 心付1000 飲み物756

 チェックインが遅かったにも関わらず、みな親切だった。
 今日が一番心細かった。真っ暗な山道を40分。
 でも日本一のこいのぼりに会えた、感激。
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30日目「写ルンです」で撮影した高千穂
 5月7日木曜日 第30日目 雨
 高森~下田ふれあい温泉~高森~高千穂
 ~本屋敷

 バス1440+1210 電車370+370
 入浴400 飲食90+120
 荷物100+300 昼食650 ハガキ420
 定期観光1150 宿泊8105

 ふれあい温泉よし。高千穂のバスターミナル何度も寄る。ランチ、久しぶりのオム
 ライスうまかった。本屋敷は、かやぶきの屋根が(花丸の絵)、川魚がGOOD、
 食事は一番良い。
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 18日目の杖立温泉は必ず行きたかった場所だったようで、宿「びぜんや」1泊2食で12000円と別のページに書かれてありました。今でもそうですが、鯉のぼりが好きなので、それが目的だったと考えられます。ただ暗い山道、大荷物を持っての40分の徒歩、無茶ですよね。鯉のぼりが泳ぐ風景は今でも鮮明に覚えています。

 30日目の高千穂。今なら多少の神話や神様の知識がありますが、当時は景色を見に行っただけと思われます。定期観光を利用しているのは、車のない一人でのアプローチが困難だったからでしょう。面白いのは、ランチのオムライスにわざわざ「うまい」とコメントしていること、和食続きで、さぞかし洋食が恋しかったのでしょうね。

第23日目の福岡「太宰府 参道」
第36日目に行った京都「伊根」
 「一番○○」というのは、ここまでの旅で…という前提で最終的には、どこが一番良かったのか?と思い出すのも旅の醍醐味。

 20年も経過しているので、思い出が薄れ、忘れてしまったことも沢山あります。寂しいけれど、仕方がないですね。でも、そのメモの中の1ページに、大きな字で「思い出は消えて行くものだから、どんどんつくり続けなければいけない」と書き込まれていました。誰かに言われたのか? 自分で当時、旅の途中でそう思ったのか? 私から私へのメッセージ。

 「うん、そうだ、だから旅を続けよう! そのためには健康第一だなあ~」と今回のダウンで痛感。20年前の私の旅から原点を思い出した気がします。

 元気になったので、早速、来週、「長谷川等伯の足跡を追う北陸旅」へ、リベンジです。
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京在住。京都市観光おもてなし大使・「首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザー」としてフリーで活動中。BS朝日「とっておきの京都」ブレーン、BS11「古地図で謎解き! にっぽん探究」京都担当、京都商工会議所講演会(東京会場)講師、朝日新聞デジタル「京都旅レシピ」コラム連載など。また中学校へ出向き修学旅行事前学習講義も行う。京都観光文化検定1級。京都市観光おもてなし大使ページ