風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
家康の3つの銅像と弥次喜多像
 

二条城二の丸御殿
 昨年の大政奉還150年、今年の明治維新150年と言う節目で、世界遺産・二条城は入城者数も大幅に増えており、連日賑わっております。皆様からの寄付金による、修復も少し進んで、キレイになった部分も一部ございます。ありがとうございます。引き続き、文化財維持への寄付を募っておりますので(二条城一口城主)よろしくお願いいたします。

二条城唐門

二条城二の丸庭園
 さて、そんな二条城はご存じの通り、徳川家の居城。とは言え、江戸時代の初め(家康~家光までの3代)と混乱した幕末(14代・家茂、15代慶喜)しか、将軍様は入城しませんでした。長らく将軍様はこられませんでしたが、江戸初期の天皇の行幸と3代家光の入洛を機に大改造され、概ね今の姿になり、ご主人様はお留守だったわけです。

 その二条城は今でも徳川家の権力を目の当たりにでき、その絢爛豪華さはスゴイです。特に襖絵は見応えがあります。また城と言っても天守閣はありません。1750年に焼失し、そのまま再建されていません。この二条城を作った「徳川家康」に今回は思いを馳せます。

静岡駅前には2体
 家康と言えば、やはり静岡でしょう…と新幹線を途中下車。静岡駅前に降り立つと、竹千代の銅像。愛らしいではないですか…あれ? 向こうには大人になった家康像がある! と駅前には銅像が2体。どれだけ家康が親しまれているかが、これだけでも分かりました。そして駅前から徒歩でも行ける駿府城へ。駿府城は公園になっており、現在、発掘調査をしていて、その現場の奥、遠方に、きれいな、美しい富士山見えました。

静岡駅前の家康像

静岡駅前の竹千代像

駿府城公園東御門
 ここ駿府城からの富士山の眺めは素晴らしく、ああ、家康も同じ景色を見ていたのだろうなと思うと、やはり歴史ファンとしては、これが醍醐味です。公園内をふらふらしていると、また家康像を発見! 30分もしない間に「同一人物で3体目」。3体目の家康像は駿府城の本丸跡地に建っていました。近くにはお手植えのミカンの樹もありました。心の中で「あ、静岡といえば、ミカンだよね」と…。

駿府城公園から見える富士山

駿府城公園
 さて、この30分以内に「同一人物3体」に出会う、それには意味があったようです。

 家康はこの地、駿府城で3度、暮らしていました。1度目は幼少期~青年(8~19歳)竹千代の時に今川氏の人質となっていた頃(当時は駿府城は今川氏の城)。2度目は「五か国時代」と呼ばれている45~49歳の時。この当時、城の主は今川氏から武田氏に移っており、武田氏を追放し、家康は浜松から駿府へ移りました。3度目は大御所時代。秀忠に将軍職を譲り、自分は駿府城へ入り、66~75歳まで、駿府城で暮らしました。

 その3度の駿府城の暮らしに合わせて、銅像も3体造られているとのこと。なるほど納得。だから、銅像の風貌が違う訳です。


家康お手植えのミカン

駿府城本丸跡に建つ家康像
 さて、新幹線に乗りなおす時間が近づき、駅へ戻ろうとしたとき、今度は、堀の側に「弥次喜多像」を発見!「今度は弥次さん喜多さんか…」と近づくと、これが何とも、ひょうきんなデザインで、滑稽本のコミカルさがにじみ出ている銅像でした。誰かが置いたミカンもいい感じです。東海道を旅した弥次喜多、終着の京都・三条大橋にも、弥次さん喜多さん像があります。橋のたもと、南西側に旅支度の二人の銅像。こちらは、若者がいたずらしたのかな? 喜多さんが煙草をくわえています。

京都・三条大橋の弥次喜多像

静岡 駿府城公園 堀の側の弥次喜多像
 そう言えば…駿府城では、煙草による不審火が度々あり家康が禁煙令を出したとか…おお~、たまたまのいたずらからの雑学だけど繋がった、繋がったこれも歴史の醍醐味かな。
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京在住。京都市観光おもてなし大使・「首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザー」としてフリーで活動中。BS朝日「とっておきの京都」ブレーン、BS11「古地図で謎解き! にっぽん探究」京都担当、京都商工会議所講演会(東京会場)講師、朝日新聞デジタル「京都旅レシピ」コラム連載など。また中学校へ出向き修学旅行事前学習講義も行う。京都観光文化検定1級。京都市観光おもてなし大使ページ