


二条城二の丸御殿

二条城唐門

二条城二の丸庭園
その二条城は今でも徳川家の権力を目の当たりにでき、その絢爛豪華さはスゴイです。特に襖絵は見応えがあります。また城と言っても天守閣はありません。1750年に焼失し、そのまま再建されていません。この二条城を作った「徳川家康」に今回は思いを馳せます。


静岡駅前の家康像

静岡駅前の竹千代像

駿府城公園東御門

駿府城公園から見える富士山

駿府城公園
さて、この30分以内に「同一人物3体」に出会う、それには意味があったようです。
家康はこの地、駿府城で3度、暮らしていました。1度目は幼少期~青年(8~19歳)竹千代の時に今川氏の人質となっていた頃(当時は駿府城は今川氏の城)。2度目は「五か国時代」と呼ばれている45~49歳の時。この当時、城の主は今川氏から武田氏に移っており、武田氏を追放し、家康は浜松から駿府へ移りました。3度目は大御所時代。秀忠に将軍職を譲り、自分は駿府城へ入り、66~75歳まで、駿府城で暮らしました。
その3度の駿府城の暮らしに合わせて、銅像も3体造られているとのこと。なるほど納得。だから、銅像の風貌が違う訳です。

家康お手植えのミカン

駿府城本丸跡に建つ家康像
さて、新幹線に乗りなおす時間が近づき、駅へ戻ろうとしたとき、今度は、堀の側に「弥次喜多像」を発見!「今度は弥次さん喜多さんか…」と近づくと、これが何とも、ひょうきんなデザインで、滑稽本のコミカルさがにじみ出ている銅像でした。誰かが置いたミカンもいい感じです。東海道を旅した弥次喜多、終着の京都・三条大橋にも、弥次さん喜多さん像があります。橋のたもと、南西側に旅支度の二人の銅像。こちらは、若者がいたずらしたのかな? 喜多さんが煙草をくわえています。

京都・三条大橋の弥次喜多像

静岡 駿府城公園 堀の側の弥次喜多像
そう言えば…駿府城では、煙草による不審火が度々あり家康が禁煙令を出したとか…おお~、たまたまのいたずらからの雑学だけど繋がった、繋がったこれも歴史の醍醐味かな。