



宇治田原町にある永谷宗円の生家

永谷宗円生家で頂いた緑茶は美味しかった!
中心となったのは奈良県に近いエリアにあたる南山城の12の市町村。様々なイベントが行われ、「京都の茶」に注目と親しみがさらに湧いた一年でありました。南山城地域は、抹茶だけでなく、緑茶の故郷でもあります。我々が今、普通に急須で緑茶を飲みますが、その誕生地が宇治田原町。江戸時代に永谷宗円が発明した製法で、全国に広まっていきました。
永谷宗円、そう皆様、ご存じの、あの永谷園です。宗円は当初、新しい製法による煎茶の販路を広げようと江戸で茶商に営業するも大苦戦。「これは!」と唯一取引して販売してくださったのが、日本橋の茶商「山本屋」の山本嘉兵衛。山本屋はこの煎茶を「天下一」と名付けて販売。すると爆発的な人気で大いに繁盛しました。その山本嘉兵衛こそ、あの山本山です。永谷園と山本山、現在、日本を代表する大手食品企業ですが、こうした深い繋がりがある、ということです。宗円が素晴らしいのは、その製法を独占しなかったこと。全国にその製法が伝わり、日本緑茶の大部分は、これによるものなのです。また大繁盛した山本屋は永谷家に感謝し、謝礼として明治初期まで毎年25両を送金したとのこと。両者とも、素晴らしい人物、カッコいいですね。宇治田原と江戸・日本橋を繋ぐ、お茶のお話しでした。


駅伝100年記念碑 三条大橋には新旧が建つ

駅伝記念碑 上野不忍池
「東海道駅伝徒歩競走」と言い、京都・三条大橋から上野不忍池まで、508キロを23区間で走りました。それを記念する記念碑が三条大橋のたもとと不忍池の畔に元々、建っているのですが、今年、京都の三条大橋に新たに100年を記念して追加で記念碑が建立。道行く人々の中には「へえ~」と足を止める方も。京都三条大橋と上野不忍池、皆さんもお出掛けの際、探してください。

開館以来の入場最多を記録した京都国立博物館「国宝」


「朝鮮通信使」の宿泊所の一つ本能寺

淀に残る朝鮮通信使の足跡
ちなみに、今回、登録認定された、もう一つ、「上野三碑」は群馬県・高崎市。7~11世紀の古代の石碑は日本に18例、その最古級の石碑3つ、山上碑(681年)、多胡碑(711年)、金井沢碑(726年)。1300年前の東アジアの文化交流を刻む、貴重な記録とのことです。
ちなみに立場上、PRしますと、宇治の放生院(橋寺)にある宇治橋断碑は646年以降、宇治橋が架けられた記念碑、これを最古とする説もあります。いずれにせよ、まとまって3基現存するのは、素晴らしいです。


天下分け目の地「大山崎・天王山」

天下分け目の地「関ケ原」決戦地

福知山城 続・日本100名城に

福知山城
今回の「続」となったでしょうか? 来年は、その「続100名城巡り」もテーマとしてはいいかもしれませんね。
・・・というように京都の話題から他府県との繋がりをニュースに垣間見てみました。面白い記事はまだまだありましたが、この辺で…。
さて、今年最後の「京都物語」一年間、ご愛読いただき、ありがとうございました。思えば、今年もあちらこちらへ出掛けました。来年も京都と繋がりのあるスポットに出没し、知的興奮の高まる、楽しい旅を続けたいと思っております。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
では、皆様、よいお年をお迎えくださいませ!! 感謝。