


清盛の銅像と清盛塚(神戸)
平清盛は京都では、それほど大注目される武将ではありませんが、ゆかりの場所は多々あります。そして西日本エリアには清盛スポットが沢山ある訳ですが、今回は清盛が遷都を夢見た福原京、その貿易港となった大輪田泊を旅してみます。


京都・若一神社に建つ清盛の銅像
また京都駅北西、西への交通の便の良いあたりに清盛の邸宅・西八条第がありました。そのゆかりを残すのが若一神社(にゃくいちじんじゃ)です。神社と車道の間には清盛が植えたとされる楠が大きく枝を張り出し、伸ばしています。

清盛が後白河法皇の為に建てた三十三間堂


清盛の愛人や松王丸の供養塔のある来迎寺

大輪田泊の遺構 石椋
駅近くの築島寺(来迎寺)には、港造営の際に自ら進んで犠牲(人柱となって海神に身を投じる)となった松王丸の供養塔と清盛愛人・祇王・祇女の墓があります。
ほどなく歩くと、巨石、大和田泊の石椋(いわくら)が案内板と共に置かれています。この巨石は港湾施設の遺構とされています。こうした石が汲み上げられ基盤を作っていました。


清盛が出家した寺・能福寺には清盛廟がある

大輪田泊にある清盛像

清盛橋
このあたり一帯が清盛の貿易の本拠地ですが、とても静かな街でした。また、あちらこちらに阪神淡路大震災の供養・鎮魂の碑などがあり、そうした歴史の一幕を改めて感じました。同じ場所で刻まれる歴史は異なれど、それは時代を超えて、次に学び伝えていくことは大切だなと…合掌。
能福寺を後にして進むと、大きな交差点に清盛塚・清盛像を見つける事が出来ます。十三重の石塔は高さ約8・5m(重文・1286年)、そして昭和に建てられた清盛像が隣に。
さらに歩みを進めると兵庫運河に架かる清盛橋。この橋は市民によって名付けられました。橋を渡り、神戸・兵庫工業高校の校舎に沿って和田岬駅へ向かうと、和田神社の鳥居が見えてきます。
この和田神社のほか、このエリアのあちらこちらの社寺に、清盛が勧請した弁天様が祀られていました。これら勧請された弁天様は港造営の際に工事の無事とこの地の繁栄を清盛が祈願したと考えられています。

和田神社にも清盛が勧請した弁天様がある

和田神社の鳥居