風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
原稿用紙の秘話 盲目の国学者・塙保己一「群書類従」と天神信仰(2015年8月1日)
 

盲目の国学者・塙保己一像
 大人になると日常の毎日が「夏休みの宿題に追われている」感があるのは私だけだろうか…。仕事柄、原稿などの締切やら、何やらで、いつも慌てている。従って私生活はその合間にこなすことになり忙しない。子どもの頃、夏休み遊びまくった挙句、8月末、必ず宿題に追われ、叱られたことを思い出す。特に読書感想文。本をろくすっぽ読んでないのに、前書きと後書きだけで感想文を仕上げようとする私。原稿用紙がなかなか埋まらない。

 その「夏休みの宿題に追われている」感が毎日ある今、あの頃は原稿用紙、今はパソコンと形態が変わっただけ。「早めに物事を進めておく」という人としての在り方には、なんら成長が見られない。でも、原稿用紙が嫌いになれずにいたので、こうしてモノを書くということもしているのかなと。時々、仕事内容によっては「原稿用紙何枚分」という計算をすることもある。今は使っていないが、私の頭の片隅には原稿用紙のマス目が今も存在する。

 さて皆様、その「原稿用紙」の元となった“ある文献”をご存じだろうか?その文献の編纂を行った偉大な人物。歴史の教科書にも載っていたはず。

 今回は、その人物「塙保己一(はなわほきいち)」と原稿用紙の起源となった文献「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」を紹介する。

京都・北野天満宮に志を誓った塙保己
 

塙保己一が度々、参詣した京都・北野天満宮
 皆さんは塙保己一と言うと「盲目なのに凄い学者だった」というイメージをお持ちであろう。名前は聞いたことがあるけれど…分からないという方も多いかもしれない。保己一は体が弱く、7歳の時に失明。7歳まで目にしていたモノを生涯、鮮明に記憶していたと言う。

 盲目のハンデイを抱えながら…ということが先行してしまい「実は何をした人?」。彼の功績、後世に残した影響、恩恵をもう一度、再認識しようと思った。

 そのきっかけは「塙保己一記念館リニューアルオープン」のニュースを耳にしたからだ。「塙保己一と京都、ちょっと浮かばないな…京都に来ているのかな?」と私の中の京都魂に火がついた。

 正確には把握できなかったが私が調べた限りでは塙保己一は最低でも11回は京都を訪れているようだ。最初は病弱の彼を健康にさせようと父親が共に旅している。その時、北野天満宮に寄った、21歳の時だ。この後、保己一は生涯、天満宮、天神様を篤く信仰することとなる。


京都・北野天満宮の学業の札と絵馬(イメージ)今も、沢山の受験生が合格を祈願する


江戸(現在・千代田区麹町)に設立した「和学講談所」内に勧請した「天満宮」の額と「和学所天満宮」と刻まれた軒丸瓦
 その後、34歳の時、「群書類従」の刊行祈願に北野天満宮を訪れ、そして49歳の時には御役目で、そして晩年に8回?そのうちの3回は日記が残っているようだ。71歳の入洛は、「続群書類従」編纂の調査のためと記録で分かる。関西へ行ったときは、必ずと言っていいほど北野天満宮に参詣していて、他の神社に参詣している記録はないとのこと。(編纂の調査などでは他の社寺も訪ねているが参詣という目的では天満宮だけ)天神信仰の理由は分からないそうだが、21歳の時から、学問の神・菅原道真が祀られている天満宮を一途に篤く信仰していたことは事実だ。その証拠に江戸に設立した、今で言う大学「和学講談所」の中に天満宮を勧請し、日々参詣をしていた。その額と瓦が記念館の展示物の中にある。
40年かけて完成「群書類従」って何? 原稿用紙の誕生?!
 

40年の歳月をかけて完成した大文献「群書類従」
 さて、塙保己一の最大の功績、「群書類従」とは? 簡単に言うと、散逸しがちな貴重な文献を集めて校正・編纂し、印刷、出版した大事業の事。1277種の文献が666冊に納められている。40年の歳月をかけ、弟子と共に完成させた大文献だ。完成時、保己一74歳。東京渋谷にある温古学会が「群書類従」の版木(山桜)を保管しており、重要文化財の指定を受けている。

 この「群書類従」の版木、これこそが「原稿用紙」の元となったのである。
何故、原稿用紙20字×20行で400字なのだろうと深く考えたこともなかったが、そうだったのか!と納得。愛着のある原稿用紙の秘話に、塙保己一をとても身近に感じた。

埼玉県本庄市、今夏「塙保己一記念館リニューアルオープン」
 

「群書類従」の版木が原稿用紙の元となったことに因み記念館前のイベント広場の足元は原稿用紙がデザインされている

高齢者、障害者、特に視覚障碍者に配慮された展示物の解説。触って読める触知案内板や音声ガイドがある

各コーナーガイド板は版木に原稿用紙式に全部平仮名で刻まれ、触って読めるようになっている
 今、過去の文献が本屋や図書館に並ばれ、容易に手にすることが出来て、沢山の人々に読まれている。江戸時代に、その散逸を懸念し、正しく直し、後の世に、きちんとした形で残そうとした塙保己一の志があったこその恩恵だ。読書感想文の手抜きをした自分を棚に上げて、「ありがとうございます」と感謝申し上げたい。
…と知った上で、実は視覚障碍者だったと思うと、人間の可能性の素晴らしさを感じ、さらに沢山の門弟を育てたこと、幕府からも信頼されていたことも合わせると、保己一の人柄にも惹かれてやまない。

 今回、和学講談所、検校のこと、盲人一座については、あまり触れられなかったが、是非、塙保己一記念館に足を運んで、彼の功績に心を寄せてみては。

 私の宿題は、今度、京都に行ったとき、北野天満宮に保己一の足跡がないか、尋ねてみたい。 学生諸君!夏休みの宿題、頑張れ!とエールを送りつつ、今回も私の「京都物語」の原稿、締切日ギリギリなのだ…ああ反省…ごめんなさい。


埼玉県本庄市児玉町にある「塙保己一記念館」
塙保己一記念館
埼玉県本庄市児玉町八幡山368番地 アスピアこだま内
開館時間:9:00~16:30
休館日:月曜日(祝日の場合翌日)年末年始
入館:無料
電話:0495・72・6032
プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京生まれ、國學院大學卒業後、スポーツ新聞社を経て京都市へ転居。東京に戻り京都市の「京都館」勤務、2012年春退職。現在、首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザーとして活動中。BS朝日「京都1200年の旅」、「京都検定」講師。京都観光文化検定1級取得。「京都観光おもてなし大使」