風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
昭和の遺構 「ラジオ塔」のある港町へ(2015年5月1日)
 

77歳になる我が父は毎朝、ラジオ体操に出掛けている。雨と寒さが一番厳しい真冬の1か月を除いて毎日6時過ぎに家を出て行く。凄い。私は眠い、寝ていたい。父の話によると近所の公園には20人程度の高齢者が集まり、その中の一人がラジオを持参し、お約束の6時半になると、全員で「ラジオ第一」で体を動かすらしい。でも、そう言えば小学校の頃は私も参加していたような記憶もある。そして、あのピアノが流れてくれば、身体は覚えていて、第一ぐらいは、今も出来そうにも思える。恐らく、我が近所だけでなく、地域毎に、どこかに集い、同時間、ラジオ体操をしているに違いない。そう考えると国民的規模の凄い習慣だ。…と、今回、改めてラジオ体操を考え直すきっかけとなったのは京都で「ラジオ塔」を見つけたからである。今回はその「ラジオ塔」のお話を。

「何だ?これは?」燈籠?・・・「ラジオ塔」って何?
 

桜の名所として有名な円山公園の中にひっそりと建つ「ラジオ塔」

「ラジオ塔」は沢山の人で取り囲まれ、皆で野球を楽しんでいる様子が伺える。
この写真は、しだれ桜で有名な京都・円山公園にある「ラジオ塔」。そこに刻まれている解説を要約すると“昭和7年、NHK京都放送局開局の際にラジオ普及の為に造られた”とある。“当時、毎朝、塔の前でラジオ体操が楽しまれていた”と続き、父の参加している集団によっても明らかだが、その歴史は今も続いていることになる。この円山公園の「ラジオ塔」にはモノクロの写真が掲げられてあり、野球観戦(聴戦?)の様子。塔を取り巻くファン、背景にはスコアボードのような物も映っている。現代でも野球やサッカーはスポーツバーなどに集まって応援する楽しみ方があるから、その集団心理は容易に理解できる。大いに盛り上がったことだろう。

今は場所柄、春は花見客に囲まれ、物言わす静かに建っているだけで、本来の役目は終えているが、取り壊さないで、そこに存在するということが、とても素晴らしい。円山公園の「ラジオ塔」は枝垂れ桜よりも東、八坂神社に近いエリアにある。

私の心に火がついた「ラジオ塔」。京都には幾つか残っていた。

京都の歴史の舞台 船岡山の「ラジオ塔」は今も
 

8月の「五山の送り火」が良く見えるスポット船岡山

広場中央、少し高い場所に建ち、ラジオ体操をする皆様を見守っている船岡山の「ラジオ塔」

船岡山の「ラジオ塔」の裏側は野外演奏場になっている
次の「ラジオ塔」は市内の中心部から少し北へ。8月の京都・五山の送り火が良く見える場所として知る人ぞ知る「船岡山」にある。

山と言っても標高112mなので、丘?と言ってもいい、登り始めて直ぐに頂上だ。それよりも、この船岡山は京都が都になる1200年前、遷都する場所を決める要となったスポットであり、また室町時代の応仁の乱においては主な戦場となり、さらに山の南東には、織田信長が祀られている建勲神社(けんくん・たけいさお じんじゃ)が鎮座するなど、歴史に刻まれる舞台となった山である。

そんな船岡山の「ラジオ塔」はドン!と目立って建っている。北大路通側から登り始めると、広場に出る。その広場中央、高い場所に建っていて、裏側は野外演奏場がある。そして、この船岡山では、今も近所の50~60人もの人々が塔の前の広場に集まり、ラジオ体操をしているとのこと。役目は終えても、役割は果たしている「ラジオ塔」であった、ちょっと感動!

全国に約20基、京都には8基、そして関東唯一?横浜に1基

野毛山公園は散策地区、展望地区、動物園の3つのエリアからなる

野毛山公園の散策地区に「ラジオ塔」発見。植え込みがあり、近くまで行けないが、手前に案内板があった

高さ3mの野毛山公園「ラジオ塔」。近くには佐久間象山の顕彰碑や中村汀女の歌碑、またお弁当を広げられるベンチや芝生もある
さて、この「ラジオ塔」全国を調べている方がおられ、全国に24基、現存していることを確認しているそうだ。京都には8基あり、現存最多らしい。今回は2基だけ訪ねてみたが、残り6基も確認したいと思っている。それから「ラジオ塔」の正式名は「公衆用聴取施設」と言い、石またはコンクリート製。構造はスイッチを入れると上部のスピーカーからラジオ放送が流れ、10分経過すると自動的に消えるのが一般的とのこと。さてさて、東京にはあるかな?関東にはあるのかな?と興味は広がり、横浜市に1基あるので、早速、行ってきた。関東ではここだけのようだ。

横浜駅から市営バス89番に乗り、野毛山公園内にある「ラジオ塔」を目指す。横浜には何度も行っているが海側でなく、海から離れる方へ向かうのは初めて。

小高い場所にある野毛山公園は散策地区、展望地区、動物園の3つのエリアからなり「ラジオ塔」は散策地区にある。案内図を見たら、何と嬉しい収穫「佐久間象山先生の顕彰碑」もあるではないか!(当コラム20回で紹介した幕末の開国論者・幕府が開港地を下田と決めたが、象山は(下田よりも)横浜が最適地だと提案した、それを称え顕彰碑が建っている)

話を「ラジオ塔」へ戻す。

野毛山公園の「ラジオ塔」は、近くまでは行けず、整備された植え込みの中に建っていた。手前の説明板を要約すると“ラジオの聴衆契約者が100万人を超えた記念に日本放送協会が昭和7年に建てた”となっている。高さは3mあると書かれてあった。全国20余基のうちの1基、確認!!

公園内は、ピクニックする市民や動物園に向かう親子で賑わっていて、楽しそう。「私もお弁当持ってくれば良かったな…」と思いながら、佐久間象山の碑の回りをぐるぐるぐるぐる回り、ラジオ塔を右から左から撮影する私の行動は、どう見ても不審者、または関わりたくない歴女・・・。でも、円山公園の「ラジオ塔」に気づいたあの日から、こうして1基、1基と訪ねる私の心は実に晴れやか。ピクニックを健全に楽しむ集団と同じくらい、いや、それ以上に「ラジオ塔、楽しい、嬉しい、やったね!」という気持ちでいるのだが、一人ゆえに、はしゃげない。背中に感じる冷たい視線…「元町中華街でランチしよう」っと。

今回は港町・横浜市と京都を“街頭ラジオ”で繋げた旅でした。

ちなみに「ラジオ塔」あなたの街にも現存しているかも?探してみては?

プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京生まれ、國學院大學卒業後、スポーツ新聞社を経て京都市へ転居。東京に戻り京都市の「京都館」勤務、2012年春退職。現在、首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザーとして活動中。BS朝日「京都1200年の旅」、「京都検定」講師。京都観光文化検定1級取得。「京都観光おもてなし大使」