


銀閣寺橋から若王子橋までの散歩道「哲学の道」
そんな2月は私にとって、京都へ足を運べない分、余計に京都を思索、思案する悶々とした毎日。自分では哲学的な人間ではないと思っているのですが、常に何か考えているタイプです。“何も考えずに、ただボ~~~っとする”という行為が出来ない、その行為現象自体が分からないのです。時々“あ、今、ボ~~っとしちゃった”と自己申告してくる友人がいると、間髪入れずに「え、今、どういう状態だったのか? 本当に思考が止まって無なのか?」などと興味深く聞いてしまいます。私の中では、ボ~~っと出来る人に対して批判的ではなく、逆に、羨ましいのです。ボ~~っとするという行為を、哲学的? 脳科学的? 心理学的? に分析している研究者に是非お会いして、その定義を聞いてみたいです。
・・・・という難しいような、内容の無い書き出しではありますが、思案・思索するにはもってこいの道、ズバリ「哲学の道」のお話しが今回のテーマです。


西田幾多郎は約20年間、京都で暮らした。(写真提供:西田幾多郎記念哲学館)
この「哲学の道」ですが、私のお薦めは早朝。誰にも会いません。会うとすれば、散歩の犬と飼い主だけ。野良猫さえも、まだ活動前らしく早朝には見かけません。本当に、その名の通り、思案・思索するには最高のロケーションであり、そして適度な距離なのです。


「人は人吾は吾なりとにかくに吾行く道を吾は行くなり」と刻まれた西田幾多郎の碑
西田幾多郎は日本を代表する哲学者で、京都学派(定義には諸説あるが一般的に)の基礎を築いた人物、その哲学は「西田哲学」と称されています。
西田幾多郎は40歳から58歳の約20年間、京都で教鞭をとっていました。京都の自宅にあった書斎は邸宅が取り壊しの際、故郷である石川県かほく市に移築されています。晩年は鎌倉と京都を行き来していたようです。
「哲学の道」を歩いていると、道の途中に西田幾多郎の石碑が建っています。石碑には「人は人吾は吾なりとにかくに吾行く道を吾は行くなり」と独特な字で刻まれています。これは西田幾多郎が64歳、昭和9年の元旦に詠まれたもの。
素敵な素晴らしい言葉ですね。


西田幾多郎の故郷の街に「西田幾多郎記念哲学館」がある(写真提供:西田幾多郎記念哲学館)
「哲学の道」「哲学の小径」などと呼ばれる道が宇野気駅周辺にも幾つかあり、その道沿いには西田幾多郎の短歌が刻まれた銅板が建っているとのこと。地元の偉人は、今も市民に親しまれていることが分かります。
そして京都から移築された書斎「骨清窟」は現在、石川県 西田幾多郎記念哲学館に保存され、国の有形文化財指定となっています。この西田幾多郎記念哲学館では、哲学のことや西田幾多郎の功績が分かる展示室があります。その展示室が長期休館を経て、3月21日リニューアルオープンします。来月、北陸新幹線が金沢まで走るようになると、西田幾多郎の故郷もぐっと近くなります。同館へは金沢駅から七尾線に乗り換え「宇野気駅」下車、徒歩20分です。
西田幾多郎記念哲学館のホームページ
(http://www.nishidatetsugakukan.org/index.htm)
哲学や哲学者は私には縁のない、遠い世界の様な気がしていましたが、桜の名所「哲学の道」に始まり、京都にゆかりの深い哲学者・西田幾多郎が気になり始めました。西田家が加賀藩のお役人であり由緒ある家柄だったこと、学習院大学にもゆかりがあり、かほく市の長楽寺、京都の霊雲院、そして鎌倉の東慶寺の3ヶ寺に墓があることなど、まだまだ実はご紹介したいこともありますが、またの機会に。

疏水分水と白川の交差地点にある「西田橋」。西田幾多郎との関係は!あるのか?
京都を毎月、訪れている私は毎回、発見と疑問に遭遇。いつも宿題を抱えて東京に戻ります。それを調べ机上で諸々準備し、いざ京都へ確かめに行くと「!」感動、そして新たな「?」に出会います。私は京都への尽きる事のない探求心を生涯、追いかける人生…「吾行く道を吾は行くなり」です。