風土47
~あなたの街の〝ゆかり〟を訪ねて~塩原直美の「あんな古都 こんな古都 京都物語」
~京都市民の生命水は滋賀県・琵琶湖から~(2014年8月1日)
 


比叡山から見た琵琶湖。日本一の面積をほこる湖
 皆様、連日の猛暑、体調崩されていませんか? 水分補給も欠かさずに…

 さて、今回は「水」についてのお話を。本来ならば、この連載コラムの第一回目に感謝と敬意の意を込めて取り上げるべきテーマだったかもしれません。21回目にしてようやく…となってしまいましたが…それは京都のお隣の滋賀県が京都市にもたらす「琵琶湖疏水」のお話しです。もし琵琶湖がなかったら、京都市は慢性的な水不足に悩まされ続けていたかもしれないし、近代化の発展も遅れていたかもしれません。

 京都の魅力は社寺仏閣以外にも沢山あります。例えば国の史跡にも指定されている「琵琶湖疏水」もその一つ。明治時代に若い技師が夢とロマンを実現した素晴らしい近代建造物であり、現在も、その恩恵を受けている「百年の計」。当時の最先端技術を取り入れ、日本人だけで近代化を実現させた最たるものです。近い将来の「世界遺産」の候補と私は思っています。

 …ということで、今回は滋賀県大津から京都市鴨川まで「琵琶湖疏水」の写真を巡りながら「琵琶湖物語」をお届けします。

テレビでお馴染み南禅寺の境内を貫く「水路閣」

南禅寺境内にある「水路閣」は観光スポット

「水路閣」の上は今も琵琶湖からの水が流れている
 「琵琶湖疏水」と言われてもピンとこない方。では、サスペンスドラマで犯人や主人公が重大な告白をするシーンで、よく見かける煉瓦造りのアーチ型建造物を恐らくご存じでしょう。行って見た方は「あ、南禅寺のあそこね」と。あれは「水路閣」と言い、字のごとく「水の道」。しかも現役で、上部には琵琶湖からの水が滔々と流れています。「水路閣」は本当に、テレビのお陰で有名スポットになりました。特に秋は、煉瓦のアーチと紅葉が美しく調和し、何ともレトロでロマンチックな雰囲気です。
「琵琶湖疏水」は明治生まれ、貴重な国の史跡

「琵琶湖疏水記念館」は京都市が竣工100年を記念して開館
 琵琶湖の水を京都へ引くことは、平清盛や豊臣秀吉も考えた夢の事業だったそうです。明治時代、京都の近代化を図るため滋賀県から京都へと琵琶湖の水を運ぶ大プロジェクト「琵琶湖疏水」事業が計画されます。琵琶湖から全長約20㎞に及ぶ運河、その大半は山の中を通ります。当時の京都府知事である北垣国道が計画、田辺朔郎を土木技師、総責任者に任命し、着工から5年後の1890年に完成しました。目的は慢性的な京都の水不足の解消、水力発電・輸送運搬・灌漑・防火用水など産業の発展です。「琵琶湖疏水記念館」に当時の様子を描いた絵やその仕組み、携わった人々の功績などが展示されています。入館無料。
恩恵を受けているスタート地点・琵琶湖へ行ってみよう!

三保ヶ崎水位観測所
 琵琶湖疏水の水を目の前に「そうだ、この水のスタート、琵琶湖へ行ってみよう!」とある日、思い立ち、早速大津へ。京阪石山坂本本線・三井寺駅あたりが琵琶湖疏水スタート地点、「大津運河」を散策してきました。 まず琵琶湖に面して三保ヶ崎水位観測所があります。これは琵琶湖の水量を測っている施設。

運河に対して斜めに架かっている大津絵橋
 琵琶湖の水は国道161号線の橋下を通り、第一疏水揚水機場を経て、大津絵橋の下を通って、大津閘門へと続きます。この大津絵橋は、ご存じの郷土画・大津絵を象ってデザインされた橋。近江の大谷・追分あたりで江戸時代初期から描かれている仏画に始まった民画・郷土画で、お土産としても人気があります。

日本最古の洋式閘門「大津閘門」。当時は手動でハンドル開閉式でした
 三井寺駅の脇を通って、運河の流れに沿って進むと今度は大津閘門が見えてきます。これは日本人によって設計建設した日本最古の様式閘門。明治天皇が訪問された記念碑も橋の袂に建っています。

第一トンネル洞門。琵琶湖を後にして、いよいよ「水の山越え?」京都を目指します
 この大津閘門を越えて更に進むと鹿関橋があり、ここからの景色が素敵です。運河の両側が桜並木になっているので、満開時には、さぞ美しいことでしょう。この橋の真正面に見えるのが、第一トンネル洞門。いよいよ、琵琶湖から京都への水の山越えが始まります。このトンネルは国の史跡指定で、掛かる扁額には「氣象萬千(きしょうばんせん)」の文字。これは伊藤博文の筆によるもの。こうした扁額がトンネルの両出口に掲げられているのも見所です。

完成を願い、完成に感謝した三尾神社。当時も今も琵琶湖疏水を見守っている
 第一トンネル洞門のたもとに鳥居が見えます。ここは三尾神社、疏水の竣工式と起工式を行った神社だそうです。関係者たちが完成を願いお参りしたと思うと、私まで胸が熱くなります。さて第一トンネルを抜け、琵琶湖の水は京都を目指して流れて行きます。
山を越え京都へ到着する琵琶湖の水がもたらす景色

琵琶湖疏水記念館の前から鴨東運河を運行する「十石舟」
 山を越えて、山科疏水を経て、冒頭で話した水路閣や琵琶湖疏水記念館のある蹴上周辺へ琵琶湖の水は到着。片山東熊が設計したポンプ室、「ねじりまんぽ」と呼ばれるトンネルなど、疏水史跡は多々あり、紹介しきれません。お薦めは、疏水がもたらした産業効果以外の+αの景色。その一つは桜咲く頃からゴールデンウイークに運行している「岡崎 桜回廊 十石舟めぐり」という観光船。25分程度ですが、船上から見る景色はまた一味違います。

琵琶湖疏水を庭に取り込み、芝生や石を見事に配置した「無鄰菴」の庭。作庭は7代目小川治兵衛
 もう一つお薦めは疏水の水を引いた美しき庭園。そうした庭は沢山あるのですが、現在、個人所有や会社の保養所となって非公開の所が多いのが実情。期間限定公開や事前申し込みなどで見学できる庭もありますが、今回は常時、見学できる「無鄰菴」という京都市の施設を紹介します。ここは山縣有朋の別邸で京都市に寄贈されたもの。疏水の水を取り入れ、石と芝生と緑あふれる見事な庭と日露戦争開戦前の会議が行われた洋館などが見学できます。入館410円。

鴨川運河接続地点。ここで疏水は90度曲がり鴨川運河となり南下します。鴨川の増水時には運河にも水が流れるなど治水も兼ねています
 そして、最後に琵琶湖の水は鴨川へ到着。鴨川運河となって南下して続いていきます。ちなみに、分線、分水は所々にあって、ご存じの白川や哲学の道沿いも琵琶湖疏水なのです。
琵琶湖疏水を完成させた男たち

琵琶湖疏水の総責任者は大学卒業したばかりの田辺朔郎。銅像の近くを疏水が流れる
 私がこのコラムで以前紹介した「水運の父」と呼ばれる角倉了以。角倉了以を尊敬していたという人物こそ、この琵琶湖疏水の総責任者、設計をした田辺朔郎という人物。この田辺を大抜擢したのが、当時の京都府知事だった北垣国道。この二人の実行力なくして、琵琶湖疏水の完成はなかったと言っても過言ではありません。北垣は、なんと大学を卒業したばかりの田辺に現場のすべてを任せたのです。思い切った抜擢が成功のカギだったのかもしれません。この二人、勿論、琵琶湖疏水の功労者ということで、銅像が建っています。

夷川舟溜まり、上下水道局疏水事務所の近くに建つ北垣国道像
 田辺朔郎像は蹴上駅近くのインクライン線路の一番高台のあたりに建っています。28歳の通水式を終えたときの姿で、カッコイイです。田辺は大学在学中に右手を負傷し、左手で設計図を描いたと言われ、手には設計図を持っています。一方、北垣国道像は更に西の鴨川交流地点近く、夷川舟溜まりの辺りに建っています。観光船の十石舟がUターンする辺りです。

 この二人の疏水にかける熱い夢と希望、ロマンが実現化したのは、彼らの実行力やリーダーシップだったと思います。途中、犠牲者が出たり、計画が大幅変更したり、予算が桁違いに増えたなどと困難を共に乗り越えた二人です。後に北垣の娘と田辺は結婚。田辺夫妻のお墓は琵琶湖疏水の流れを身近に感じる大日山市営墓地の高台に仲良く並んで眠っています。


地元の京菓子処「平安殿」では琵琶湖疏水に因んだ菓子を販売
 最後に、疏水記念館のほど近く神宮道にある京菓子処「平安殿」では、琵琶湖疏水に因んだネーミングの「そすいもち」「疏水アーチ」「インクライン」などの菓子を販売。地元ならではのお菓子で、お土産には最適です。

 今回は暑い夏、涼を求めて琵琶湖疏水がもたらす水景色の旅。お隣の滋賀県、琵琶湖の水が京都を潤しているというお話しでした。

プロフィール:塩原直美(しおばらなおみ)
東京生まれ、國學院大學卒業後、スポーツ新聞社を経て京都市へ転居。東京に戻り京都市の「京都館」勤務、2012年春退職。現在、首都圏と京都を繋ぐ観光アドバイザーとして活動中。BS朝日「京都1200年の旅」、「京都検定」講師。京都観光文化検定1級取得。「京都観光おもてなし大使」