

皆様、こんにちは、如月となり、節分、立春と暦の上では“春”。そろそろ、春のご旅行計画を立ててみてはいかがでしょう。現在、私は京都観光に従事していますが、元々“旅好き”で30代の間に全国47都道府県の観光地制覇をしました。自分に定めたルールは①自腹で行く(仕事不可・身銭を切る)②必ず県内1泊以上(途中下車は不可)③ご当地の食と酒を堪能する、この3条件を満たしての達成です。47都道府県を訪ねて得た経験、思い出は私の一生の宝。京都と他府県のゆかりを繋ぐこのコラムも、その47都道府県の旅が原点です。

写真:山本覚馬顔© 写真提供:同志社大学
さて旅行先を考えた時、魅力を感じる一つがNHK大河ドラマ。昨年は「平清盛」、そして今年は「八重の桜」です。既にご覧になられた方も多いと思いますが、舞台の中心は会津や京都。「山本八重」のちに新島襄の妻となる女性が主人公、幕末を逞しく生きた「ハンサムウーマン」の生涯です。新島襄は京都・同志社大学の創始者で知られていますが、京都にとって忘れてならぬ人物、それが八重の兄・山本覚馬です。八重の人生においても覚馬の存在は大きなものでしたが、京都の近代化においても、覚馬の尽力あってこその発展がありました。

写真:日新館 写真提供:會津藩校 日新館
今回は「八重」の兄・山本覚馬をご紹介します。山本覚馬は1828年、会津城下に生れました。藩校「日新館」に入り、文武両道、優秀な生徒だったようです。当時、優秀な生徒が他の藩校や江戸に留学する制度があったようで、覚馬は江戸に出て蘭学を学び、洋式砲術の研究を深めます。丁度、黒船来航の頃です。会津に帰ってからは日新館の教師となり、さらに蘭学所を開設し教授に。江戸で「世界」を知った覚馬は藩内の保守派を批判し、外出禁止の処分に遭うなどもしますが、改革の意見が認められていきます。そして、ご存じの通り、藩主・松平容保が京都守護職を任命され、覚馬も京へ上ります。

写真:蛤御門
1864年に起こった薩摩・会津VS長州の「蛤御門の変(禁門の変)」で覚馬は大活躍をし、その戦功が認められ、出世します。しかし、このころ眼病を患い、ほとんど視力がなかったと言われています。一方、世の中は「大政奉還、戊辰戦争」と激動。「鳥羽・伏見の戦い」で多くの会津藩士が戦死。藩が本陣をおき、覚馬も駐屯したと思われる「金戒光明寺」には戊辰戦争で戦死した会津藩士たちが眠る墓地があります。今も沢山の方がお参りに訪れています。


写真:女紅場跡碑

写真:舎密局跡
激動する時代の流れの中で覚馬は薩摩藩に捕えられてしまいます。視力をほとんど失っていた覚馬が獄中で口述筆記した、日本の将来を論じた建白書「管見(かんけん)」が薩摩藩主の目に留まり釈放。さらに明治新政府にも認められ京都府顧問に採用、京都の近代化政策を推進します。その覚馬が成しえた事業は「女紅場の開校、博覧会の実施、舎密局の開局」などなど。特に日本初の博覧会を京都で開催したことは遷都によって京都の衰退を嘆き、落ち込む府民の励みとなりました。ちなみに覚馬の推薦で八重は女紅場(女性の教育機関、裁縫・手芸などを教える)で教師として活躍します。また舎密局(せいみきょく)とは理化学工業技術の研究・普及を目的とした勧業教育施設のこと。「せいみ」とはオランダ語のシエミストリ(化学)の当て字。ここでビール、ガラス、石鹸、ラムネなどの製造研究をしていました。多くの技術者を養成し、島津製作所の創始者・島津源蔵もここで学んだ一人です。

写真:薩摩藩跡碑
しかし覚馬は不運にも、眼に続いて今度は足を患います。この頃、覚馬は新島襄と出会います。また八重も兄・覚馬を頼って京都へ移住。覚馬の元に出入りしていた新島襄と八重は出会い、そして結婚。覚馬は薩摩藩から買い受けていた土地を「学校を作りたい!」という新島襄の情熱に共感し、格安で土地を譲ります。同志社大学は覚馬が名づけ親、新島襄の大学設立に協力します。それゆえ、同志社大学は薩摩藩の跡地にキャンパスがあるのです。同志社大学今出川キャンパスの西門前に石碑が建っています。

写真:山本覚馬の墓
50歳で覚馬は京都府出仕を辞職しますが、その後も京都府議会議長や京都商工会議所会頭、同志社大学臨時総長などを就任し、京都の重鎮として活躍。65歳でお亡くなりになります。お墓は桜の名所で知られる京都「哲学の道」の南、熊野若王子神社の脇から山道を20~30分ほど登った同志社共同墓地に、新島襄や八重とともに眠っています。山道は少々傾斜のある階段が一部あり、雨天の日やヒール靴はNG。入口に貸出杖が用意されているので、利用することをお薦めします。覚馬の墓は新島襄の墓に向かって左のエリアの真ん中あたりに位置しています。
大河ドラマが進む中で、兄・山本覚馬の活躍に是非、注目してください。ちなみに演じている俳優さんは西島秀俊さん、素敵ですね。…というか、覚馬の人生そのものがカッコいい。どんな不遇、境遇に置かれても明日を見据え、切り拓き、実現する!惹かれる人物のお一人です。
アクセス・問い合わせ
- 日新館 福島県・会津若松ICから約8キロ 電話0242-75-2525
- 蛤御門 京都市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅下車徒歩5分 京都御苑内
- 金戒光明寺 京都市バス「岡崎神社前」下車徒歩10分 電話075-771-2204
- 薩摩藩邸跡碑 京都市営地下鉄烏丸線「今出川」駅下車すぐ 同志社大学西門前
- 女紅場跡碑 京阪鴨東線「神宮丸太町」駅下車、鴨川に架かる丸太町橋を渡り西南側
- 舎密局跡碑 京都市営地下鉄東西線「京都市役所前」駅下車徒歩5分(銅駝美術工芸高校南側)
- 山本覚馬の墓 京都市バス「宮の前町」下車徒歩40~50分(注意:山道歩きます)