風土47
旅空子の「味」な旅・見出し
 
栃木県■中世からの歴史と近世からの陶芸の里


陶芸の里を象徴する窯元共販センターのオブジェ

窯元共販センターに迷うほど趣さまざな器が並ぶ

窯元やギャラリー、カフェが連なるシャレた城内坂通り

展示物や建物も文化財の濱田庄司記念益子参考館

センスのいい益子焼&カフェレストランの「壺々炉」

手作りの「とん太ファミリー」のハム・ソーセージ

本堂、楼門、三重塔、閻魔堂など揃う西明寺境内
 益子は栃木県南東部、八溝山地の西麓にひらけた、益子焼で知られる町である。多くの窯元が集まる陶芸が魅力だが、中世から近世にかけての城跡や古寺・古社にも心惹かれる。

 益子焼は江戸時代後期、常陸の笠間で陶芸を学んだ大塚啓三郎がこの地で始めたのが起こり。そのつながりから両地が2020年に「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”~」として、文化財と併せて「日本遺産」に認定された。

 その中心が500㍍ほど延びるゆるやかな坂道の城内坂通り。両側に約30軒の益子焼の窯元が集まり、シャレたカフェやレストラン、ギャラリーが点々と混じる。春(4月下旬~5月上旬)と秋(11月上旬)の「陶器市」には数百を超えるテントが並んで大いににぎわう。

 通りの東寄りにある大きな狸の焼き物が目印のショッピングギャラリーの益子焼窯元共販センターには、1年中、250余の窯元の作品・商品が集まる。その先の里山通りの岩下製陶も立ち寄りたい窯元の1つで、東日本最大の登り窯が見ものである。

 益子焼は鉢や水瓶、土瓶など日用雑器の産地として発展するが、その存在が広く知られたのは、「用の美」を唱え、民芸運動を主導した陶芸家・濱田庄司が大正時代後期の1924年に益子に移住し、作陶を始めたことによる。

 その濱田氏旧宅や登り窯が城内坂通りの北側の小高い丘に移築され、益子ゆかりの陶芸家の作品を展示する益子陶芸美術館や陶芸メッセ・益子と併せて今昔を伝えている。

 濱田氏の旧宅・工房跡地には木造長屋門や豪農の母屋、大谷石の蔵などが集められ、濱田庄司記念益子参考館として開設。保存展示の収集品や工房から心意気が伝わってくる。

 また城内坂通りの入口で寛政年間(1789~1801)創業の日下田藍染工房も益子を象徴する伝統工芸。72個並ぶ藍甕が220年を超えて9代にわたる技法を今に伝える。

 足休めや腹ごしらえにはカフェレストランの「壺々炉」やこだわりハンバーグの「カフェレシナ」などいろいろ。土産には無添加の「とん太ファミリー」の手づくりハム、ソーセージ、ベーコンや、「えみパン」のパンもおいしい。

 益子では歴史の息づかいを感じさせる国の重要文化財指定の古刹や古社も必見。その1つが駅南東の高館山中腹の西明寺。茅葺屋根の重厚な楼門や屋根の反りが美しい三重塔、鎌倉期の仏像を安置する本堂、閻魔堂など樹木に包まれた境内にひっそり佇む。

 中世、治めていた宇都宮氏の祈りの場の大羽地区の優美な入母屋造りの地蔵院や平安初期の創建の大倉神社、鎌倉初期創建の綱神社、33代の宇都宮家の墓も見落とせない。


〈交通〉
・真岡鐡道益子駅下車
〈問合せ〉
・益子町観光協会☏0285・70・1120
 
中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表、北海道生まれ、早大卒。近著に「日本百銘菓」(NHK出版新書)