風土47
旅空子の「味」な旅・見出し
 
富山県■北前船交易で殷賑を極めた名残の古い港町


岩瀬繁栄の証の北前船廻船問屋森家

快適車両の富山ライトレール(現・富山地鉄)

趣ある建物が連なる大町新川町通

食べやすくカットした大塚屋の三角どらやき

食事処政太郎で食べた白エビ天うどん

高さ20㍍、港や海が見渡せる展望台

白エビ料理など磯料理の老舗料亭・松月
 江戸時代、前田藩10万石の城下町としてひらけた富山市。その面影は駅の南約1㌔、堀や石垣、御門の残る城跡に天守閣などを再建した城址公園にしのばれる。

 とはいえ今はコンパクトシティを目指して市内電車やバスなど公共交通網を整備。今年3月21日に市内南部を走る富山地方鉄道電車環状線と北部を走る富山ライトレール(現・富山地方鉄道)の線路が富山駅でつながり、念願の南北直通運転が始まっている。

 その工事が進行中の昨年、富山ライトレールで北前船の寄港地・船主集落で大いに栄えた岩瀬を訪ねた。旧国鉄時代の富山港線である。

 東岩瀬で下車して徒歩で3~4分。大町新川町通り(旧北国街道)には、本瓦葺き、大戸、出格子、塗り籠壁、袖壁などの江戸時代から明治にかけての町屋や問屋など広壮な屋敷が連なっていた。

 聞けば明治6年の大火では1000戸のうち650戸が焼失。有力な廻船問屋はほどなく再建に取り掛かるなど当時の建築様式を引き継ぐ建物で町が復興したという。

 その象徴的な家が海商で鳴らした北前船廻船問屋「森家」。明治11年に建てられた豪壮な木道2階建で、母屋、道具蔵など建坪は80坪余り。背後の船着場まで抜ける通り庭、みごとな木組みの吹き抜けの梁、囲炉裏の間、広々とした座敷が財の大きさを物語る。国の重要文化財の指定を受けている。

 この建物は後半期、倉敷紡績の大原家が所有。迎賓館や別荘に使われた。のちに市に寄贈されて今日に至っている。

 通りには北前船ルート有数の廻船問屋の馬場家などの建物が点在。造り酒屋の桝田酒造店、三角どらやきの大塚屋製菓店、御休処の政太郎、重厚で繊細な料亭の松月など殷賑を極めた名残が今もしっとり宿って、タイムスリップさせられる。

 建物や蔵を活用してランチやカフェ、ガラスや陶芸工房、食事処などもある。その1つの政太郎の座敷で庭を眺めながら、富山湾特産の白えびの天ぷらうどんで腹ごしらえをした。

 そのあと、古い街並みの背後に立つかつての常夜灯を模したという富山湾展望台に上った。眼下に岩瀬の家並み、神通川河口、富山湾、能登半島が見渡せた。快晴ならば立山連峰も眺められるという。

 この先、岩瀬運河沿いの散策路を歩いて、ほとりの岩瀬カナル会館に立ち寄った。シーフードレストランや物産販売、運河クルーズの富岩水上ラインの船も発着。運河の前方に屏風のように並び立つ立山連峰の一等展望地でもあった。

〈交通〉
・富山駅から富山地方鉄道富山港線で21分、東岩瀬下車
〈問合せ〉
・富山市観光協会☏076・439・0800
・富山市観光政策課☏076・443・2072
 
中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表・理事、北海道生まれ、早大卒。近著に「日本百銘菓」(NHK出版新書)