風土47
旅空子の「味」な旅・見出し
 
愛媛県■城下町の歴史の中にいで湯と文学が香る町


城郭が揃った日本三大平山城の松山城

『坊っちゃん』ゆかりの道後温泉駅

重要文化財指定の共同湯・道後温泉本館

道後名物の串団子の“坊っちゃん団子”

明治時代からの松山銘菓“一六タルト”

城下や道後を結ぶ伊予鉄道の路面電車

少年期まで住んだ家を再現した子規堂
 「春や昔十五万石の城下哉」
 「松山や秋より高き天主閣」
 郷土の誇る俳人・正岡子規にこう詠まれた松山はかつて松平氏の城下町。今も高層ビルの林立する中心街の132mの勝山山上に、石垣や再建の大天守、小天守、櫓、門などが堂々と建っている。

 まずは中心街の大街道からロープウェイで山上に立った。大天守の最上階から周囲を見渡して北東に道後温泉、北西に港や空港、瀬戸内海などを確認。人口51万余の四国一の都会ぶりがうかがえた。

 勝山の麓の「坂の上の雲ミュージアム」では、近代国家への功があった松山出身の陸・海軍の大将・中将として活躍した秋山好古・真之兄弟や俳句革新を唱えた正岡子規をしのび、路面電車で道後温泉へ向かった。

 玄関口の道後温泉駅は明治の雰囲気漂う洋風建物。坊っちゃん列車、カラクリ時計、矢絣・袴のマドンナ姿のガイドなど夏目漱石の『坊っちゃん』の世界に包まれる。

 国の重要文化財の木造三層楼の「道後温泉本館」で一浴して、3色の“坊っちゃん団子”を食べていると、松山に英語教師として赴任した漱石が子規と交流、一緒に暮らした明治時代にタイムスリップする。

 温泉本館前の一六本舗の茶寮できめ細かなこし餡をカステラ生地で“の”の字に巻いたロールケーキ“一六タルト”を賞味し、土産に買った。柚子の風味がすっきりとした甘さに仕立てている。

 このタルトは藩主松平定行が長崎で手にしたポルトガル菓子をヒントに生まれた和洋折衷菓子。一六タルトは創業の明治16年にちなむ同店だけの登録商標だが、“〇〇タルト”の菓子は県内に多数ある。

 城と道後温泉に代表される松山観光だが、漱石の『坊っちゃん』と並んで、近代俳句の聖地にした正岡子規も大きな存在。温泉街に隣接する市立子規記念博物館では書簡や原稿、書籍などで病弱な35歳の短い生涯と業績を知った。

 繁華なアーケード街の大街道や銀天街をぶらつきながら伊予鉄道松山市駅の南の正宗寺境内の「子規堂」に足をのばす。子規が17歳まで過ごした邸宅を模して建てられた木造平屋で、3畳間の書斎や原稿、遺品、写真などに時代がしのばれた。

 広場には軽便の“坊っちゃん列車の客車”も展示。”子規と野球“の看板には、松山にベースボールを紹介し、解説をしたと書かれていた。子規は幼名の”升(のぼる)“から雅号を”野球(の・ぼうる)“。これに因んだ「の・ボールミュージアム」が郊外の「坊っちゃんスタジアム」にある。

〈交通〉
・JR予讃線松山駅下車
〈問合せ〉
・松山市観光産業振興課☏089・948・6556
 
中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表・理事、北海道生まれ、早大卒。近著に「日本百銘菓」(NHK出版新書)