風土47
旅空子の「味」な旅・見出し
 
長野県■日本の産業の近代化を支えた日本一のシルクの町・岡谷


展示室と現役工場からなる岡谷蚕糸博物館

機械・器具や資料で製糸の工程や歴史を開設

併設の宮坂製糸所で製造工程が見学できる

製糸家の林國蔵が建てた豪勢な旧林家住宅

贅沢な材料や意匠が施された林家の和室

うなぎの館・天龍の味も香りもいいうな重

釜口水門に立つ「寒の土用丑の日」記念碑

石鹸やスイーツなどシルク製品もいろいろ
 長野県のほぼ中央部、諏訪湖の北西畔に位置する岡谷は人口4万8000余の工業都市。明治初期から昭和初期にかけて、天竜川と横河川に囲まれた地域を中心に100を超す製糸工場があり、日本一、世界のシルクの町として栄えた。

 それも昭和初期の世界大恐慌や太平洋戦争、戦後のナイロンの進出などで絹織物が衰退。製糸業はすたれたが、岡谷や桐生などにわずかに残り、産業遺産とともに日本の近代化を支えた栄華を語り伝えている。

 岡谷市の街なかにある機械・器具類、記録・資料などを展示する「岡谷蚕糸博物館(シルクファクトおかや)」もその1つ。生糸製造を続ける全国4ヶ所の1つの「宮坂製糸所」を併設する希少なミュージアムで、高度化した機械群や繭から糸を引き出す手作業なども興味深く見学できる。

 この地で製糸業を興したのは明治初期に天竜川沿いの川岸村で座繰り製糸工場の片倉組から始めた片倉製糸や、諏訪湖畔近くで創業した林國蔵を初代とする一山加(いちやまか)林製糸所などである。

 片倉家はのちに、片倉財閥と称されるほど大発展。昭和14年に群馬県にある官営の富岡製糸所(世界遺産)の経営にも当った。

 林家は岡谷の発展の基を築いた岡谷3大製糸家の1人で、國蔵が建てた「旧林家住宅」は、主屋、離れ座敷、茶室、洋館、土蔵(繭倉庫)などそれぞれに凝った意匠もそのままに現存、公開。西洋建築の壁紙の金唐革紙を張り詰めた部屋など見るべきものが多く、国の重要文化財になっている。

 こうした繁栄の底力には過酷な労働に耐えた若い糸引き工女たち。最盛期は5000余の村人の7割が10代~20代前半の女性たちで占められていたという。『あゝ野麦峠』などで知られる哀史も忘れられない。

 かつてのシルク王国の長野県には、蚕糸にまつわる産業、文化、施設が各地に残る。これらが手を携えて、産業・文化遺産として伝えるために諏訪市や駒ケ根市、辰野市など県内で“シルクロード連携協議会”を結成している。

 諏訪市には片倉財閥が地域住民の厚生と社交の場を提供した洋風建築の「片倉館」、駒ケ根市には「駒ケ根シルクミュージアム」や明治後期創業の「久保田織染工業」が見学施設になっている。

 そういえば製糸業で隆盛が続いた昭和初期まで、岡谷は年間約38万トンの漁獲量を数えた“うなぎの町”。製糸業の衰退と合わせるかのようにうなぎも不漁になったが、伝統を受け継ぎ、市内に7軒のうなぎ屋がのれんを下げている。

 岡谷うなぎはさばきは関東流の背開き、焼きは関西風の蒸さずにじか焼きという東西折衷。夏の土用丑の日に対して、立春前の1月最終の丑の日を“寒の土用丑の日”として脂ののった”寒うなぎ“の旨さを喧伝。備長炭の炭火焼きにこだわるうなぎの館・天龍で食べたうな重は、濃厚で甘めのタレが印象的な美味だった。

〈交通〉
・JR中央本線岡谷駅下車
〈問合せ〉
・岡谷市商業観光課☏0266・23・4811
 (信州シルクロード連携協議会事務局)
・諏訪市観光課☏0266・52・4141
・駒ヶ根市観光推進課☏0265・96・7724
 
中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表・理事、北海道生まれ、早大卒。近著に「日本百銘菓」(NHK出版新書)