


シンボルゾーンの白壁土蔵と瀬戸川沿いの小径

格子造りなど飛騨の匠の技が息づく古川の町並み

千本ろうそくに祈りを捧げる三寺まいりの瀬戸川

漬物ステーキ

豆腐ステーキ

山門も見応えのある飛騨最大の木造建築の本光寺

『あゝ野麦峠』にも描かれた名建築の八ッ三館

井之廣製菓舗の味噌煎餅 | 金木戸屋の笹巻羊羹
夏は緑と清流のすがすがしい自然郷だが、冬はかつて名うての豪雪地帯。近年は少なくなったとはいえ、雪降る1月15日、古川町には200年以上も続く『三寺まいり』という伝統行事がある。つい半月前に地元の人に誘われて行ってきた。
以前は東海道線・高山本線経由だが、北陸新幹線の富山経由で30分以上早い3時間40分余り。珍しく雪はなかったが、駅前で大きな雪像ろうそくに迎えられた。
飛騨古川は高山城主・金森長近によってひらかれた増島城の城下町。壱之町、弐之町、三之町など高山に似せた町割りに武家や商人、職人が居住した。
飛騨の匠が腕を奮った情趣あふれる家並みは110余年前の大火で大半が焼失したが、匠の腕と心意気で往時の趣の町が蘇った。それをしのばせるのが、瀬戸川沿いの白壁土蔵街や壱之町通りの出格子の商家や町家。
和ろうそく、飲食、菓子屋、宿など老舗が点々とある通りには、雪像ろうそくや千本ろうそくが灯されて、華やかな着物姿の若い女性や老若男女が行き交っていた。『三寺まいり』が始まっていた。
三寺は大火を唯一免れた瀬戸川沿いの円光寺と、それぞれ徒歩で5分ほどの真宗寺、本光寺の3つの浄土真宗の寺のことで、宗祖・親鸞聖人の遺徳をしのんで巡拝する厚い信仰が受け継がれてきた。
山本茂実の名作『あゝ野麦峠』にも書かれたが、明治・大正時代、信州の岡谷・諏訪の紡績工場へ糸引き工女として働きに出た飛騨の娘たちが、年季奉公を終えて帰郷して正月に精いっぱい着飾ってお参りした。
それを目当てに若い男たちも多数集まった。「嫁を見立ての三寺参り」と唄われたように公開集団見合いの場だった。そのことからいつからか良縁祈願、縁結びの色合いが濃くなったという。
寺をめぐり、通りを抜け、広場の露店で飛騨牛入りの“飛騨コロッケ”やえごま塗りの五平餅を立ち食いして、誘われて居酒屋で、吟醸酒の「蓬莱」や「白真弓」をたしなみながら富山湾の魚介をつまんだ。
ユニークなのは赤かぶや白菜の漬物を卵と合わせて鉄板で焼く「漬物ステーキ」や「豆腐ステーキ」。「飛騨ではなんでも焼いて食べるんです」と誘ってくれた観光課の北村和弘さん。パリッと軽やかな「味噌煎餅」と笹の香りと葉脈がすがしい、滑らかな甘みの「笹巻羊羹」を土産に買った。
普段は静かでおおどかな古川だが、4月19日・20日の『古川祭』は、“古川やんちゃ”の男の熱気と興奮が渦巻く「起し太鼓」や、豪華絢爛な屋台にうっとりする『古川祭』でにぎわうという。訪ねてみたい春を呼ぶ行事である。
・JR高山本線飛騨古川駅下車
〈問合せ〉
・飛騨市商工観光部観光課☏0577・73・2111
・飛騨市観光協会☏0577・74・1192