風土47
旅空子の「味」な旅・見出し
 
島根県◎津和野|緑と水と歴史の豊かな山陰の小京都


家老門や藩校など城下町が色濃く残る殿町通り

赤い鳥居のトンネルの太皷谷稲成神社の石段参道

津和野を代表する銘菓の山田竹風軒の「源氏巻」

江戸時代からの郷土料理のふる里の「うずめ飯」

文豪森鷗外旧居。近代的な森鷗外記念館が隣接

菩提寺永明寺に立つ高潔な森林太郎の墓碑

津和野川に寄り沿う赤瓦屋根の家並み
 島根県の西南部、東に青野山、西に城跡の城山を仰ぐ山あいの津和野は、緩やかに蛇行する清冽な津和野川に沿って古い町並みが連なる美しい旧城下町である。

 その面影の色濃い殿町通りへは駅から徒歩で15分。なまこ壁塀の多胡家老門や西周(にしあまね)や森鷗外も学んだ藩校養老館、鯉の泳ぐ掘割、ゴシック建築の津和野カトリック教会などが、電柱が取り外されたイチョウ並木の美しい道に沿ってしっとり溶け込むように続いている。

 界隈には愛らしい石州和紙の津和野人形や銘菓「源氏巻」、郷土料理「うずめ飯」などの店々が看板を掲げ、観光客の出入りも多い。

 中でも目に付く源氏巻は、卵いっぱいの小麦粉生地でしっとりしたこし餡を平たく包んでキツネ色に焼いた餡入りカステラ。きめ細かな甘さと香ばしい皮がしっくりなじんだ、昔に変わらない飽きないおいしさ。同じ菓名で8軒もの店が共存しているのは、鳥居のトンネルの連なる石段参道を上がった城山中腹に鎮座する太皷谷(たいこだに)稲成神社の参拝者に支えられてきたから。のちに観光土産として不動の人気を得るようになった。

 京の伏見稲荷を勧請したきらびやかな社殿で、五大稲荷(成)神社に数えられる格式の高さ。門前に売られている油揚げを供えて、商売繁盛、福徳開運を願って柏手を打った。眼下に広がる赤い石州瓦の屋根の連なる美しい展望にも、息を荒げ、立ち止まりつつ上ってきた辛さが報われた。

 昼食はシイタケ、ニンジン、豆腐、カマボコなどの具をご飯の下に埋めて海苔やセリ、ワサビなどの薬味をのせて出汁をかけて食べる郷土料理の「うずめ飯」。ネーミングに諸説はあるが、質素倹約令へのカモフラージュが始まりとか。

 4万3000石の津和野藩では英明な8代藩主・亀井矩賢が藩校養老館を開き、医学、礼学、数学、兵学、国学など幅広く学問を奨励した。日本哲学の父と呼ばれる西周も、軍人でも文学でも名を極めた森鷗外もここで学んだ。建物の一部は民俗資料館として使われている。

 この2人が生まれ育った西周旧居や森鷗外旧宅(隣接に記念館)が市街の少し南側に川を隔ててあり、それぞれ勉強部屋も残っている。

 鷗外こと森林太郎少年は10歳半の時、父と上京して藩主亀井氏の下屋敷に住む。

 翌年、祖母、母、弟妹ら一家を挙げて東京に移住して家族の生活が始まる。鷗外は60歳で亡くなるまで、故郷へ思いを寄せながら一度も津和野には帰らなかった。

 だが生前「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と願い、墓に肩書など一字も加えてはならぬと遺言。永明寺には「森林太郎墓」の文字だけの墓碑が立っている。

 他地からはなお遠い津和野だが、まもなく殿町通りの堀端には花菖蒲が咲く。7月21日・28日は鷺舞神事のある弥栄神社の祇園祭が催され、まさに小京都の趣が漂う。ほかにも数多くの見どころがあり、何度か訪れたい魅力的な町の一つである。

〈交通〉
・JR山口線津和野駅下車(SLやまぐち号運行は6月23日(日)まで土・休日、
 7月20日(土)~10月20日(日)の土・休日。新山口発10時59分)
〈問合せ〉
・津和野町商工観光課 ☏0856・72・0652
・津和野町観光協会  ☏0856・72・1771
 
中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表・理事、北海道生まれ、早大卒。近著に「日本百銘菓」(NHK出版新書)