風土47
今月の旅・見出し
 
 
石川県■外浦と内浦の2つの海辺に暮らしが息づく奥能登


幾何学模様が海に映える白米千枚田の眺め

1200年続く輪島名物の朝市(第2・4水曜休)
輪島名物の「丸柚餅子」と「えがらまんじゅう」

奇岩の窓岩や岩礁が連なる外浦の曽々木海岸

江戸時代の塩づくりを伝承するすず塩田村

波静かな内浦の観光ポイントの1つの軍艦島

塩漬け乾燥後、藁で包んだ能登名物の巻鰤

現在は穴水~和倉温泉に残るだけののと鉄道
 日本海に突き出す能登半島は丘陵が海になだれ落ちて変化に富んだ美しい海岸線を描く海の景勝地。日本海の荒波が押し寄せる外浦と波穏やかな富山湾に臨む内浦の対照的な表情をもっている。

 冬はシベリア寒気団に襲われて厳しいが、ブリやカニ、カキなど海の幸がおいしさを増す。その季節の入口の小春日和の1日、半島先端部の奥能登を旅した。

 アプローチは羽田空港からANA便で、旅空子には初めてののと里山空港へ。輪島市と穴水、能登の2町にまたがる2003年開業の能登の空の玄関口である。

 穴水ではのと鉄道を乗り降りして入江のボラ待ちやぐらを探したり、私財を投じた巨大な能登長寿大仏を拝したり、名物のイカやカキ料理を味わったあと、海辺の和倉温泉へ向かった。

 和倉は人気旅館日本一の加賀屋で知られる1200年の歴史を誇る名湯だ。こんこんと湧き出る涌浦の湯壺(わくうらのゆつぼ)や風雅な建物の共同浴場の和倉温泉総湯など温泉情緒にたっぷり浸れた。

 あくる日は奥能登の基点になる輪島の名物朝市をぶらつく。鮮魚や海産加工品、野菜、漆器、民芸品など200余が並ぶ通りをたくさんの観光客が往来していた。1200年以上続く、日本三大朝市の一つである。

 朝市通りで見つけたのが、中浦屋の「丸柚餅子(まるゆべし)」。柚子の中をくりぬき、餅を詰めて何度も蒸し上げ、半年間自然乾燥させて出来上がる、香り清々しく、滋味深い甘さの高級銘菓だ。

 対して庶民的なお菓子が、米粉をこねて餡を入れて蒸し上げた「えがらまんじゅう」。表面にまぶした粒々はクチナシで染めた黄色い米粒。もちもちして甘さやさしい、饅頭と称するが餅である。

 奥能登でここ十数年、観光の大きな目玉になっているのが白米(しろよね)千枚田。海に面した急斜面に1000枚を超える棚田が幾何学模様を描く景観は、人間の知恵と労力とともに美しさにも魅入られる。3月上旬までは畦道に設置された2万個を数えるソーラーLEDによるイルミネーションが夢幻の世界を演出する。

 白米千枚田からは外浦沿いに窓岩や垂水の滝など奇景の曽々木海岸を走り、道の駅・すず塩田村でひと息つく。ここでは汲み上げた海水を桶で塩田の砂地に振り撒き、太陽と風で乾燥させた砂を集めて平釜で煮詰める江戸時代から続く揚げ浜式製塩の作業風景を見学。買った塩はほんのりの甘みと旨みが舌先に響いた。

 次は国道249号線で珠洲飯田へ。海は穏やかな内浦に代わって、見付海岸、恋路海岸など白砂の浜が続く。ひときわ目を引くのが、弘法大師が巡行の折に最初に目に付いたという見附岩。屹立する岩壁が巨大戦艦の船首を思わせるところから軍艦島の愛称で親しまれている。

 風荒ぶ厳冬期には曽々木海岸では、波しぶきが凍って泡となる“波の花”が空中に舞う日もあるそうだが、なだらかな丘陵や田畑、静かな入江、穏やかな人柄に触れた能登は、俚謡にあるように「能登はやさしや土までも」の旅路だった。

〈交通〉
・羽田空港からのと里山空港まで全日空で55分
・のと里山空港から輪島までバスで25分
〈問合せ〉
・能登の旅情報センター☏0768・26・2555
・輪島市観光課☏0768・23・1146
・穴水町観光交流推進室☏0768・52・3790
・珠洲市観光交流課☏0768・82・7776
島根県■柿本人麿と雪舟ゆかりの史話に心惹かれる益田


高津柿本人麿神社境内からの高津川の眺め

人麿神社拝殿前にある万葉歌人の人麿座像

入り組んだ湖岸線が多様な趣を見せる蟠竜湖

古くから益田名物土産の鶏卵堂の鶏卵饅頭

池泉回遊式兼観賞式の萬福寺の雪舟庭園

萬福寺の本堂の前で出迎えてくれる雪舟像

住職を務めた医光寺に作った名勝の雪舟庭園
 島根県の西部はかつては石見(いわみ)の国。その中心都市の益田は鎌倉時代、益田兼高が七尾城を築いて以来400年、この地方の中心都市として栄えてきた。

 駅前の観光協会で福原あさみさんに、マップでアドバイスを受けたあと、東西に長い市街地をアシスト付きのレンタサイクルで回ることにした。

 歴史の古さに敬意を払って、最初に市街の西方、清流の高津川を渡り、石見国府の役人として赴任し、多くの和歌を詠んだ万葉歌人・柿本人麿を祭る高津柿本神社に参拝した。

 石段を上がった高台に建つ本殿は入母屋造り・檜皮葺きの風格ある建物で、拝殿前には和歌の神様と崇められる人麿座像があった。境内には、「鴨山の岩根し枕けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ」、「石見のや高角山の木の間より 我が振る袖を妹見つらむか」など、石見を詠んだ歌の看板が立っている。展望所からは日本一にもなったダムのない清流の高津川や赤い石州瓦の益田の町も見下ろせた。

 社殿に隣接して人麿にちなみ万葉集に詠まれた植物が150種余植栽されている。人麿展望広場のある蟠竜湖(ばんりゅうこ)を含めて一帯は県立万葉公園になっている。諸説はあるが人麿が亡くなったのはここ益田の地。地震と大津波で海中に没したが、かつて中須沖にあった鴨島が終焉の地という説が根強くある。

 一方、市街の東側、益田川の周辺は室町時代の画僧・雪舟ゆかりの地。城主益田氏の菩提寺で、国の重要文化財指定の萬福寺には雪舟作庭の池泉回遊式兼観賞式の庭園がある。

 その先の医光寺は雪舟が第5世住職を務め寺で、池泉観賞半回遊式の雪舟庭園は趣深く、縁側に座してしばし庭に見入った。

 備中(岡山・総社)生まれという雪舟の生涯も不明な部分があるが、晩年を過ごし、亡くなったのは市街北方の小高い丘にあった東光寺といわれる。焼失したのでこれを復興する形で建てられたのが大喜庵で、雪舟の墓がある。

 隣接して雪舟が留学した明の天童寺を模して作品を展示する中国風の雪舟の郷記念館が建てられた。雪舟禅師像は高村光太郎の父の光雲の作だという。

 和歌の神様の人麿と日本山水画の大成者の雪舟が晩年を送った益田の町。もう一度訪ねたくなった。

 聞けば清流と荒海と田園からはアユやハマグリ、ユズ、ワサビなどの名産品がとれる。さらに12月~2月には市域北端の荒磯温泉近くの海に迫る台地の唐音水仙公園では、寒気の中に200万球を超える水仙が凛として、ふくいくとした香りとともに白い花のじゅうたんを繰り広げるという。人麿や雪舟とともに心惹かれることがまた増えた。

〈交通〉
・羽田空港から萩・石見空港まで全日空で1時間35分
・JR山陰本線・山口線益田駅下車
〈問合せ〉
・益田市観光協会☏0856・22・7120
・益田市産業経済部観光交流課☏0856・31・0331
 
中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表・理事、北海道生まれ、早大卒。