


千光寺ロープウエイからの尾道水道の眺め

文学のこみちの『放浪記』の文学碑

寺の町を代表する名刹、懸崖造りの千光寺

瀬戸内海の小魚でダシを採る尾道ラーメン

瀬戸内の海の幸に恵まれた桂馬の蒲鉾

志賀直哉旧居への石段坂の千光寺新道寺
山が迫る東西に長い町は至る所に石段や坂道。古寺社や民家が屋根を重ねるようにひしめいている。
その中に志賀直哉や林芙美子、小津安二郎や大林宣彦ら文学や映画にゆかりの地が点在。松尾芭蕉や頼山陽、正岡子規らの石碑が連なる文学のこみちなど坂の町に文化や芸術が香る。
駅前から歩いて、林芙美子の像を見て、土堂小学校への坂を上って持光寺、海福寺、宝土寺に参拝。米蔵に沿う急な石段坂の千光寺新道から左に入って志賀直哉旧居に立ち寄った。瀬戸内海や家並みが見下ろせる棟割長屋に半年ほど住んで、名作『暗夜行路』の構想をここで練ったという。近くには林芙美子の書斎を再現する文学記念室もあった。
天寧寺の三重塔を仰いだあとに着いた山麓駅からロープウェイで千光寺山に上がった。昇るにつれてみるみる町並みと海がひらけ、展望台に立つとさらに視界が広く、左手に向島や因島を串刺しするように延びるしまなみ海道が見えた。
山上から巨岩と松の間を縫う約1㎞の文学のこみちを碑文を読み取りながら下る。正岡子規の「のどかさや小山つづきに塔二つ」、志賀直哉の「六時になると、上の千光寺で刻の鐘をつく。ゴーンとなるとすぐゴーンと」などが点々と連なる。
ひときわ目に着くのは大きな花崗岩に刻まれた、尾道で幼少女時代を送った林芙美子の「海が見えた。海が見える。五年ぶりの尾道の海は懐かしい」の『放浪記』の文学碑だ。
いくつかの文学碑に足を止めながら、朱塗りも鮮やかな舞台づくりの千光寺本堂に着いた。足下に山陽本線の電車が行き交い、町のさざめきも聞こえる。向島との間を行き交う自転車ごと乗れる渡船も手に取るように見えた。(そうだ、向島は松山刑務所脱走犯の潜伏で注目された)
山陽線をくぐってアーケードの尾道本通りに出て、名物の尾道ラーメンを食べた。帰り道、名物の蒲鉾を買って西の広島に向かう山陽線の列車に乗った。
・JR山陽新幹線新尾道駅からバス、またはJR山陽本線尾道駅下車
〈問合せ〉
・尾道観光協会☏0848・36・5495
・尾道市観光課観光係☏0848・38・9184


東京駅を思わせる赤レンガの外装の深谷駅

深谷生まれで偉大な実業家の渋沢栄一銅像

赤レンガや土蔵の家並みに宿場町の面影

甘味処の伊勢屋で味わった団子2種

明治後期創業の「翁最中」の糸屋製菓店

江戸期から「菊泉」が看板の滝澤酒造
天保年間の絵図によると、本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠80軒、人口1928人とあり、中山道随一の宿場だったという。明治以降は深谷ネギや赤レンガの町としても知られるようになった。
そんな予備知識をザッと仕込んで、高崎線深谷駅に降り立った。橋上に出ると東京駅にそっくりの、しゃれた赤レンガの駅舎にびっくりする。
22年前に駅を建て替える時に、35億円かけてレンガパネルを本物のレンガのように積んで建築した。単なるあやかりでなく、東京駅には深谷のレンガ工場で造られた赤レンガ使われている、そのゆかりによってである。
北口の広場に坐す銅像は、日本初の機械式煉瓦会社をこの地に興すなど“日本経済の父”と呼ばれる、深谷出身の稀代の実業家・渋沢栄一である。
宿場町の名残は約1.7㎞離れた東西にそれぞれ残る高さ4mの常夜灯をはじめ、幕末、将軍家に降嫁の皇女和宮が休んだ本陣を務めた飯島邸跡にもしのばれる。
瓦葺きの大屋根の明治15年築の釜屋金物店、赤レンガ煙突が目をひく江戸時代からの造り酒屋の藤崎藤三郎商店、江戸時代から300年以上続いた七ツ梅酒造の酒蔵、江戸時代から今日まで続く赤レンガの煙突と白壁土蔵が目をひく銘酒『菊泉』の滝澤酒造など、新旧の建物が混じる町並みで足を止めたくなる建物がいくつかあった。
甘味処でラーメンも評判の伊勢屋と、翁面の種皮の「翁最中」の糸屋製菓店に立ち寄って、賞味した。地元に愛されてきた、気取りのなさが、親しみ深く好ましく感じられた。
歩いたのは昼食と夕食の間の時間だったので口にできなかったが、幅広の麺に深谷ネギや野菜をたっぷり入れて生めんのまま一緒に煮込んだ「煮ぼうとう」や新ご当地グルメの「カレーやきそば」が名物だと聞いた。
見残した旧渋沢邸「中の家」や渋沢栄一記念館、国の重要文化財指定の旧煉瓦製造施設などとともに、もう一度訪ねようと思わせられた。
・JR高崎線深谷駅下車
〈問合せ〉
・深谷市観光協会☏048・575・0015
・深谷市商工振興課☏048・574・6650