風土47
今月の旅・見出し


水仙とアロエの花が紅白対をなす爪木崎
謹賀新年

 1月の花は水仙。寒気の中で甘い芳香を放ち、白い清楚な花びらを開く姿は冬さなかなのに「春の予感」をほのかに感じさせてくれる。名所は伊豆半島・爪木崎、福井・越前岬、淡路島・黒岩灘など海を見下ろす斜面に多い。

 なかでも下田市(静岡県)の爪木崎では灯台の見える斜面に300万輪の花が咲き、水仙まつり(12月20日~2月10日)が開催される。真っ赤なアロエの花と白い水仙の紅白の取り合わせの光景はめでたくて、いかにも正月にふさわしい。

〈問合せ〉
・下田市観光協会☎0558・22・1533

千葉県■初詣客でにぎわうご利益多い成田山と参道の老舗


初詣客であふれる新勝寺大本堂

人波であふれかえる参道風景

色鮮やかでキリッと立つ三重塔

うなぎの川豊本店の店の様子

なごみの米屋の極上栗羊羹
 年が明けると多くの人が初詣するのは神社。3が日の人出ランキングでは320万人を数える東京・明治神宮が第1位。中京でも熱田神宮、伊勢神宮、関西でも伏見稲荷、住吉大社、九州でも大宰府天満宮など当然ながら神社が主役。だが関東では珍しく成田山、川崎大師、浅草寺とお寺が続く。

 そんな中で都心から離れているのに例年300万人を超す全国第2位の千葉県・成田山新勝寺に3が日に初詣した。成田駅前から始まる参道の両側には老舗を交えた食事処や土産物店がびっしり連なり、晴れ着や普段着などとりどりの初詣客がすれ違いもままならぬほど混雑の中を往き来する。

 下り坂になる辺りから、人波の上に木造3階や蔵造り、格子窓など戦災を免れた古い家並みがのぞく。名物の鉄砲漬や煎餅の店など近づくのもままならないが、そこここから漂う甘いタレの匂いに成田名物のうなぎ屋の繁盛ぶりを知る。曲がった道の前方に塔が見えるが、なかなか前に進めなかった。

 ようやくたどり着いた成田山新勝寺は、交通安全、家内安全、商売繁盛、出世開運、恋愛成就など幅広いご利益で知られる真言宗智山派総本山。朱塗りの総門、大提灯の下がる仁王門をくぐり、急な石段を上がると、壮大な大本堂や重要文化財の華麗な三重塔や厄除け祈祷所の釈迦堂など多数の堂坊が目に飛び込む。とくに大本堂の石段は隙間もなく人が密集していた。

 創建は10世紀半ばで、本尊は「成田のお不動様」と親しまれる不動明王。にぎわうようになったのは江戸時代中期からで、江戸出開帳の宣伝効果や歌舞伎役者初代市川團十郎が念じて2代目を授かったご利益談の上演などによるという。子を授かったことから、代々、成田山への信仰厚く、市川家は屋号を「成田屋」と称した。

 かつて成田詣でで栄えた旅館も多かったが、交通の発達や参拝の時代変化で泊まり客が減少、望楼をもつ旅館大野屋など多くはうなぎ料理、飲食処、土産店に転業。

 帰りに創業100年余の川豊本店☎0476・22・2711で、並んで待って「上うな重」にありついた。目の前で裂き、秘伝の薄甘口のタレにくぐらせて焼くので、温かくてふっくらで美味だった。昨年は3000円でお釣りがきたが、今年はどうだろうか。

 人混みに気を取られて見落としがちだが、参道には登録有形文化財など見るべき建物も少なくない。その1つが黒い蔵造りの店構えの創業280年の三橋薬局0476・22・1661で、漢方胃腸薬の「成田山一粒丸」はかつてお土産品としても飛ぶように売れたという。今は土産の主役は瓜の「鉄砲漬」や「栗羊羹」などに代わった。とくに明治32年(1899)創業のなごみの米屋☎0476・22・1661の「栗羊羹」に人気がある。新勝寺の精進料理の中にあった“栗羹”をヒントに、栗入りの羊羹がここで初めて作られたそうだ。滑らかな小豆の風味と栗とがなじみ合って美味しい。

 半ば過ぎればゆったり門前町歩きも楽しめることだろう。

〈交通〉
・JR成田線、京成電鉄成田駅から新勝寺まで徒歩15分
〈問合せ〉
・成田市観光協会☎0476・22・2102
・成田観光館☎0476・24・3232
・成田山新勝寺☎0476・22・2111


兵庫県■古き良き町並みと文学が香る播磨の小京都・龍野


ホームに立つ「赤とんぼ」の像と歌碑

復元だが城下町の歴史を伝える隅櫓

藩主脇坂邸など武家屋敷が残る坂道

見学施設のうすくち龍野醤油資料館

揖保乃糸を使った霞亭のにゅうめん

ほんのり醤油に甘さ引き立つ晴風の醤油饅頭
 姫路の北西の龍野は平成の大合併で「たつの市」の味気ない表記に変わったが、鶏籠(けいろう)山の山裾にある街は「播磨の小京都」と呼ばれるしっとり落ち着いた美しい町並みで知られる。小春日和の日、玄関口の姫新線本竜野駅に降り立った。

 プラットホームに姉やと幼子2人の像と「夕焼小焼の赤とんぼ負われて見たのはいつの日か」の歌碑。童謡「赤とんぼ」の作詞者・三木露風の生まれ故郷で、生家や歌碑、資料館、菩提寺などの他、高台にある国民宿舎も赤とんぼ荘、タクシーも赤とんぼ交通を名乗るなど「赤とんぼの町」を謳っている。

 駅から揖保(いぼ)川を越すと、すぐに格子窓や塗り籠め壁の商家や仕舞屋(しもたや)風の町家が連なる古い町並みにまぎれ入る。とりわけ白壁の築地塀の如来寺界隈は黒板壁やレンガ壁の醤油蔵や老舗の菓子屋などが趣のある一角を作っている。

 中世、鶏籠山上に築いた山城(朝霧城)に始まり、江戸時代に山麓に移して5万3000石の脇坂氏が入封以来、明治維新まで続いた城下町である。その核である龍野城(霞城)は石垣や復元の埋門、多聞櫓、隅櫓などを備え、白壁が眩しいほどに青空に映えていた。藩主脇坂邸や武家屋敷は城から少し離れた西側にあった。

 城の前には清楚な三木露風生家、白壁の家老門に囲まれた霞城館には露風をはじめ、「人生論ノート」で著名な哲学者・三木清、一高寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」の作詞や銀行家で名をなした矢野勘治(興安嶺)ら龍野が生んだそうそうたる人物の業績を展示。城跡の西側一帯の龍野公園には赤とんぼ歌碑に続く文学の小径、三木清の碑がある哲学の小径、センサーでメロディが流れる童謡の小径が巡っている。

 通りを歩いて驚いたのはゴミ一つ落ちてないことと、家々が寂れずに残り、暮らしの息づかいを感じさせること。それは江戸時代からの播州の大豆や小麦や赤穂の塩などの原材料を生かした醤油醸造や「揖保の糸」のそうめん作りがそれぞれ全国3大産地に数えられるほどの隆盛を続けてきたせいではないだろうか。

 昼食にそうめん処・霞亭☎0791・62・2040に入って温かい「霞亭にゅうめん」(800円)を味わう。錦糸卵、アナゴ、椎茸、蒲鉾などに柚子と梅の香りがすがすがしい、上品で上品な味わいだった。

 もう一つの産業の醤油はヒガシマル醤油旧本社の建物を使ったうすくち龍野醤油資料館☎0791・63・4571で歴史資料や製造工程が見られ、関西の食文化が龍野の淡口醤油で支えられていることも知った。「万能だしつゆ」(1瓶410円)など醤油製品も販売していた。この醤油を使った名物菓子に「うすくち醤油饅頭」がある。醤油をほんのり混ぜた皮でこしあんを包んで蒸し上げたもので、醤油資料館近くの天保8年(1837)創業の晴風☎0791・63・0555で食べたものは、さっぱりした甘さで飽きない美味しさだった。5個入り710円。

 龍野の町を歩いていると五感はもとより、心に響く温もりや和みを覚える。赤とんぼの季節ならまた旅情もひとしおにちがいない。

〈交通〉
・姫新線本竜野駅下車、徒歩15~20分
〈問合せ〉
・たつの市商工観光課☎0791・64・3156
・本竜野駅前観光案内所☎0791・63・9955


中尾隆之
中尾隆之(なかおたかゆき)
高校教師、出版社を経てフリーの紀行文筆業。町並み、鉄道、温泉、味のコラム、エッセイ、ガイド文を新聞、雑誌等に執筆。著作は「町並み細見」「全国和菓子風土記」「日本の旅情60選」など多数。07年に全国銘菓「通」選手権・初代TVチャンピオン(テレビ東京系)。日本旅のペンクラブ代表・理事、北海道生まれ、早大卒。