風土47
今月の旅・見出し

 学校、会社など4月は1年の中で元旦と並んで大きな区切りの時です。
 切り替わりの点では会計年度、入学・入社・転勤など社会生活上、また心理状態においてもカレンダーの1月以上かもしれません。
 実は日本においては自然の切り替えも目覚ましく、桜をはじめ藤、ツツジ、バラなど百花繚乱。山野に緑が甦って、北国や山岳地方でも目に見え出す春の兆しに喜色が膨らんでくるでしょう。
 二十四節気でも4月5日はすべてのものが清らかに輝く「清明」(せいめい)、4月20日は百穀を潤す雨が暖かくなる「穀雨」(こくう)。刻々と季節が進んで行く1ヶ月なのです。
 植物も動物も、人の暮らしも"旅支度"の時間に当たるかもしれません。


春の公園、庭園を優美に彩る藤の花(静岡・熱海の起雲閣庭園)

季節の甘味話■4月

 4月、桜が散りだすと、菓子屋の店先には早くも「かしわ餅」の張り紙が出ます。「ちまき」とともに、男児の健やかな成長や邪気を払うなどの祈りを込めて5月5日の端午の節句に欠かせないお菓子です。
 柏の葉を器にして食べ物を盛る風習は昔からありましたが、端午の節句の餅に用いられるようになったのは、柏の葉は新芽が出ないうちは褐色でカサカサした枯葉が、決して落ちない特性から後を継ぐ、後を絶たないとの意味合いから好まれたそうです。
 ほとんどの和菓子店で作られています。ほんのり葉の香りと餅についた葉脈(筋)とともに、そんな縁起を思って食べると、味わいもちょっぴり増すでしょう。

神奈川県■穏やかさと迫力の横須賀の「軍港めぐりクルージング」


港を50分間クルージングする快適な軍港めぐりの船

在日米軍のもつ多種類の艦船や潜水艦が浮かぶ横須賀本港

ポートマーケットの「なぶら」で食べた地魚の海鮮丼

 三浦半島中央部を占める横須賀市(よこすかし)は東が東京湾、西が相模湾に面する海の町。幕末、米国海軍提督ペリーが黒船を率いて浦賀に入港、鎖国日本に開国を迫った舞台として日本史でもおなじみです。
 横須賀は海から江戸を守るために奉行所が置かれるなど、軍港、軍都として役割を担ってきました。終戦後も米軍海軍基地や日本の海上自衛隊施設が置かれていますが、今は船上から身近に見られる「軍港めぐりクルージング」が人気です。
 乗船場所は京浜急行汐入(しおいり)駅から徒歩5分、JR横須賀駅から徒歩10分の汐入ターミナル(汐入桟橋)。船は米海軍基地のある横須賀本港と海上自衛隊基地のある長浦港を、生放送の船内ガイド付きで巡ります。
 目に入るのが迫力のある巨大な航空母艦ジョージ・ワシントンや潜水艦。出入りや停泊の船は日によって変わりますが、タイミングよくリアルな解説が聞かれます。
 背後の米軍基地(横須賀ベース)には海軍司令部をはじめ、小・中・高校・大学、病院、郵便局、映画館、競技場などがあり2万人以上が生活しているとのことでした。
 後半は海上自衛隊司令部と護衛艦などを眺めて約50分のクルーズは終わります。興味深い話も聞けて小さな船旅も楽しめる穏やかで心地よい時間でした。
 汐入桟橋から横須賀駅にかけての海岸に造られた横須賀製鉄所建設に当たった仏人技師の貢献を讃えて名付けたフランス式花壇や噴水のあるヴェルニー公園は、4月中旬から100種・2000本のバラがみごとです。汐入桟橋から25分も歩けば半島東側の付け根に当たる記念艦「三笠」が置かれた三笠公園も潮風のプロムナードです。
 食事は名物の「よこすか海軍カレー」や三笠公園近くに3月13日にオープンしたばかりの「よこすかポートマーケット」で地魚を使った海鮮丼はいかがですか。
 出航は11時・12時・13時・14時・15時の1日5便。
 乗船代は大人1200円。前日までに予約が必要です。

<問合せ>
・(株)トライアングル ☎046・825・7144
・横須賀市観光協会 ☎046・822・8256

福岡県■炭坑の隆盛が生んだ炭都・飯塚の歴史的名建物や全国銘菓


白蓮が10年間の結婚生活で暮らした伊藤邸の白蓮の間

東京の歌舞伎も招いて上演された、今も現役の嘉穂劇場

寛永7年創業の千鳥屋本家本店と看板菓子の「千鳥饅頭」

 福岡県のほぼ中央部、飯塚市は日本の近代産業のエネルギー源を支えた、100を超す炭坑を数えた筑豊炭田の中心地です。今は見る影もありませんが、黒い土や石のボタ山が緑なす忠隈のボタ山(筑豊富士)がシンボルとして往時を伝えてくれます。
 また貧しい炭鉱夫から身をおこし"筑豊の炭鉱王"と呼ばれる巨万の富を築いた「伊藤伝右衛門旧邸」も筑豊の繁栄の大きな名残です。庭園を含めて2300坪の敷地に明治から昭和初期にかけて増築を重ねた邸宅は、繊細で優美な装飾などさまざまな建築技術が見られる和洋折衷の住まいです。つぎ込んだ財力の強大さがしのばれました。
 とくに後妻に迎えた美しい伯爵令嬢(歌人・柳原白蓮)のために九州で最初に水洗トイレを設けるなど、明治44年に増築した2階の数寄屋造りの"白蓮(びゃくれん)の間"が見ものです。窓ガラスを通して庭園が広く見渡せます。
 筑豊栄華の遺産の1つが、昭和6年に建てられた芝居小屋の「嘉穂(かほ)劇場」です。桟敷席・花道、奈落(廻り舞台・せり)、小道具部屋など当時のままの姿で今も使われています。木造2階の1200人収容も満杯だったのも炭坑の隆盛によって支えられたからでした。今も創業者家族らが経営、現役の芝居小屋として使われていますが、公演のない日は見学公開しています。
 飯塚は古くは長崎と小倉を結ぶ長崎街道と遠賀川舟運の交わる宿駅として大いに栄えた歴史があります。江戸時代、海外から長崎の港に入った砂糖は長崎街道を経て京・大坂、江戸へと運ばれたことから"シュガーロード"と呼ばれました。
 沿道の地には砂糖とともに菓子作りの技法が伝わり、飯塚にも多くの菓子が生まれました。それが全国に知られるカステラ生地に白餡を入れて釜で焼いた「千鳥饅頭」。また愛らしい形の「ひよ子」も飯塚で誕生しています。疲れを癒し、小腹を満たす菓子は炭鉱で働く多くの住民によって大いに支えられたのでした。
 今も飯塚ではスイーツマップにある23軒の菓子店が美味しさを競い合い、共栄するお菓子の町です。時代の甘さ、辛さを滲ませた飯塚には歴史、文化、物産など旅する者にとって魅力が炭層のように秘められた町に思えました。
 飯塚へは博多駅からJR福北ゆたか線で40分、新飯塚駅下車。

<問合せ>
・飯塚市商工観光課 ☎0948・22・5500
・飯塚観光協会 ☎0948・22・3511
・旧伊藤伝右衛門邸 ☎0948・22・9700
・嘉穂劇場 ☎0948・22・0266
・千鳥屋本家本店 ☎0948・22・0831

中尾隆之
中尾 隆之(旅行作家)高校教師、出版社を経てフリーランスライターに。月に10日は取材旅行の現場主義で、町並み、鉄道、温泉、味覚等の紀行コラム、エッセイ、ガイド文を執筆。とくにお菓子好きで、新聞、雑誌にコラム連載のほか、『全国和菓子風土記』の著書もある。2007年8月に「全国土産銘菓選手権初代TVチャンピオン」(テレビ東京系)に。