

つややかな色で初夏を届けるサクランボ(福島市にて)
中旬になると本州も梅雨にしとしと濡れる季節がやってきます。
ご存じのように、この時期の雨は梅の実を黄熟させることからこう呼ばれていますが、別に「黴雨」と書くように物に黴(かび)が生じさせる雨の意味もあるようです。食中毒は真夏8月よりも多いのです。
それでも6月はサクランボやビワが実る楽しみもあります。サクランボ狩りの旅もいいかもしれません。


盛岡駅前の「ふるさとの山に~」の啄木歌碑

赤レンガと白い花崗岩の帯が美しい岩手銀行

啄木や賢治が青春時代を過ごした頃にはすでにあった明治40年築の旧第九十銀行の建物

館内では2人の青春と当時の盛岡の街を紹介

チャグチャグ馬コのように彩り鮮やかな盛岡駅弁の「鈴鐘万頃」(ちゃぐちゃぐばんけい・1200円)
駅舎の正面看板に大きく「もりおか 啄木」の文字。駅前広場にはどっしりとした石碑に「ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」の啄木の歌が刻まれていました。
そういえば市内北郊の旧玉山村で生まれ、神童と呼ばれ、盛岡中学で学び、若くして名をなした漂泊の詩人・石川啄木が26歳で亡くなって今年は100年め。
その歌を道連れに、駅前から市内循環バス“でんでんむし”(1回100円)で周遊しました。石垣と堀の残る南部氏二十万石の「盛岡城跡」には「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五のこころ」の歌碑がありました。
城跡から清らかな水が流れる中津川を渡ると、辰野金吾設計の明治の赤レンガの「岩手銀行中ノ橋支店」。そこを南へ歩くと、元銀行のレトロな洋館を活用した「もりおか啄木・賢治青春館」がありました。やはり盛岡で青春時代を送った花巻生まれの宮沢賢治の資料も展示。喫茶コーナーもなかなか素敵でした。
赤レンガの岩手銀行を北に歩いた紺屋町では200年続く荒物屋や大正時代の消防番屋など古い家並みや老舗の南部鉄器や南部せんべい、わんこそばの店があってぶらり歩きが楽しめました。
上の橋で再び出合った循環バスで啄木新婚の家により、、賢治の作品のモニュメントが並ぶ材木町の「いーはとーぶアベニュー」を歩いた約3時間。それは文学史にサンゼンと名を残す明治の2人の文学者の青春追想の時間でもありました。
なお6月2日(土)は市内渋民会館で「啄木祭・没後百年記念フォーラム」開催日。講演や函館・釧路・東京文京区など“啄木ゆかりの地サミット”も開かれます。
6月9日(土)は着飾った馬が首にかけた鈴をチャグチャグ鳴らしながら行進する、馬への感謝を込めた伝統行事の「チャグチャグ馬コ」も催されます。
交通は東北新幹線盛岡駅下車。
<問合せ> ・盛岡観光コンベンション協会☎019・604・3305・石川啄木記念館☎019・683・2315


日本の道百選にも選定された美しい城之門筋

広壮な家構えに往時がしのばれる奥谷家

寺内町一番の見どころの旧杉山家住宅(400円)

邸内の部屋や欄間彫刻、襖絵なども見応えがある

創業160年を数える老舗柏屋葛城堂と「柏もなか」
富田林駅を出て西方を見ると、巨大な白い塔が目につきます。そうです、ここは花火大会や高校野球「PL学園」などで知られるPL教団の本部のある町なのです。
駅前の観光案内所で貰った観光マップやじないまち散策絵図を頼りに歩き出すと、ほどなく白壁、板壁、格子戸、虫籠(むしこ)窓などをもつ広壮で古い家々が連なる町並みにまぎれ入りました。
東西約400メートル、南北約350メートルに及ぶ碁盤目状に区画された寺内町。
通りには歴史を経た民家や商家があり、それぞれが異なる表情をもっていると聞き、道をコの字やロの字に歩き回りました。町の歴史とともに懐の深さが伝わってきます。
町の核となった堂々たる構えの“御坊さん”と呼ばれる興正寺別院、広壮な構えの材木商だった本家と分家2つの奥谷家、数多くの土蔵に往時を伝える酒味醂醸造の佐藤家、木綿商の木口家、酒造業を営んだ葛原家や仲村家住宅、旧杉山家住宅などどの家もみごとな構えで、いかに栄えていたかがしのばれました。
なかでも目を見張るのが4層の大屋根が美しい国の重要文化財指定の旧杉山家住宅。寺内町で最も広壮で、最も美しく、300年ほどの歴史をもつ商家です。明治前期、堺の与謝野晶子らと活躍した明星派の歌人・石上露子(本名杉山タカ)は当家の生まれであることを知りました。
時間が止まったような、時間を遡ったような、タイムスリップという言葉が似合う町でした。
<問合せ> ・富田林観光案内所☎0721・24・5500・旧杉山家住宅☎0721・25・1000(市教育委員会文化財課)
・柏屋葛城堂☎0721・25・2210


・8個箱入り840円
・岩手県一関市地主町3-36
・電話0120・23・5009(フリーダイヤル)