

茅葺き屋根と青空に映える柿の実(千葉県御宿町の岩瀬酒造にて)
北国では紅葉や田畑の収穫が終わり木枯らしが吹き、初雪がくると、漬物の仕込みなど冬仕度に取りかかります。
けれど西日本ではこれからが紅葉の始まり。“小春日和”と呼ばれるぽかぽか陽気に身も心も解(ほぐ)される日もよくあります。
葉を落としきった枝に残る朱赤色の柿の実が茅葺き屋根や秋天の青さに映える絵柄はめっきり少なくなりましたが、つい先日、外房(千葉県)で見かけて、しみじみと日本の秋の情趣に浸りました。
下旬には西日本でも一夜の野分けに木々の葉が飛ばされ、寒々とした風景に一変します。冬の足音が確実に聞こえてきますが、温泉や鍋物など温もり求めての旅も乙なものです。


西国三十三ヵ所第13番札所の石山寺は紅葉の名所でも

源頼朝の寄進という多宝塔。修復作業風景が見学できる

浜大津にある古くから旅人に愛された名物「三井寺力餅」

和三盆と葛粉、寒梅粉を木型で打ち出した「大津画落雁」
今回は湖国・滋賀の首都であり、三井寺、円満院、日吉大社、西教寺、延暦寺など古寺社や文化財の宝庫でありながら、京都に至近ゆえに素通りされがちな大津市を訪ねました。
最初に足を運んだのが、奈良時代に聖武天皇の勅願により良弁僧正がひらいた真言宗の名刹石山寺。仁王門をくぐって参道を進むと、寺名由来となった硅灰石の山に国宝の本堂(観音堂)、多宝塔など多くの堂塔が建っていました。
本尊は福徳開運、縁結び、安産等に霊験あらたかな如意輪観音菩薩(秘仏)。毘沙門天など重要文化財指定の仏像がたくさんあり、参詣者がいつも絶えません。
目を惹くのは紫式部が名作「源氏物語」の構想を練ったといわれる4畳ほどの源氏の間。石山詣でをした紫式部はここに参籠し、琵琶湖の湖面に映る十五夜の月を眺めて構想を得たそうで、世界に誇る長い物語の書き出しはここから始まったのでした。
本堂の回廊の周りを見ると大きく枝をのばすカエデの大木がそこここに。11月中〜下旬、燃え立つよう境内を彩る紅葉の素晴らしさがありありと想像できました。
均整のとれた美しい多宝塔はただ今修復中ですが、その作業風景を間近で見物できるようになっていました。
瀬田の唐橋を渡った先には日本武尊を祀る近江の一宮といわれる古社の建部(たてべ)大社があり、近くの県立美術館では「祈りの国、近江の仏像―古代から中世へ―」(11月20日まで)開催中でした。
この美術館と「大津市歴史博物館」(日吉の神と祭・11月23日まで)と信楽の「MIHO MUSEUM(ミホミュージアム)」(天台仏教への道―永遠の釈迦を求めて・12月11日まで)では、三館連携特別展『神仏います近江』が開かれています。なかなか拝観できない寺社の仏像や神像がテーマにそって一堂で拝観できるめったにない催しです。
紅葉の中でひときわ神仏の微笑み染みる近江路へ出掛けませんか。
<問合せ>・びわこビジターズビューロー ☎077-511-1530
・大津市観光振興課 ☎077-528-2756


みごとな石垣を従えて復元した熊本城天守閣の威容

彩色鮮やかな障壁画や格天井に目を奪われる本丸御殿

加藤清正の時代から続く銘菓「朝鮮飴」(園田屋)

阿蘇の伏流水を引いた清澄な名勝・水前寺成趣園
明治10年の西南戦争で大半を焼失しましたが、“武者返し”と呼ばれる高く険しい反りをもつ石垣は今も残り、美しさとともに難攻不落の堅城ぶりが今もたっぷり伝わってきます。
現存の3層6階の大天守・小天守は昭和35年に外観を忠実に復元、歴代肥後藩主の行政の場、対面所として使われた本丸御殿は巨大な赤松の梁やケヤキの柱を組み、目を見張るばかりの極彩色の障壁画など豪華な内部がありありと甦っていました。
この清正の残したものに朝鮮出兵の折の携帯食がおこりという銘菓「朝鮮飴」があります。細川氏の時代は幕府への献上品として珍重されました。
体の弱かった城主細川忠利の滋養のために考案された熊本土産の定番「辛子蓮根」(森からし蓮根など)、忠利の父忠興の技量奨励で発展した重厚で渋さが特徴の伝統工芸「肥後象眼」など、藩主のゆかりが形になって今も伝えられています。
細川氏3代にわたって造営した池泉回遊式の大名庭園の水前寺成趣園はその最たるものでしょう。
加藤・細川400年の歴史・文化がそこここに脈打つ熊本市は、宮本武蔵、小泉八雲、夏目漱石など多くの人物のゆかりの地。県立美術館(細川コレクション永青文庫展示室)、伝統工芸館、熊本大学五高記念館などじっくり鑑賞したい施設も多くあります。
12月31日まで『gokujo熊本キャンペーン』中です。
〈問合せ〉・熊本県観光課 ☎096-333-2335
・熊本市観光振興課 ☎096-328-2393