風土47
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雛祭りの頃、長崎の多くの菓子店で作る桃カステラ(長崎・文明堂総本店にて)
 弥生3月になりました。

 伊豆半島では河津桜が咲いて春の気配の一方で、北国ではまだひと降りもふた降りも雪がありそうな日々が続きます。

 そんな冬から春へ橋を架けるような行事がひな祭です。蔵に仕舞い込まれていた先祖伝来のお雛さまや、女児が育って家庭に仕舞いこまれていた雛壇飾りを商家の店内や観光施設の一角、一般家庭の座敷などに展示する「お雛様めぐり」がこの季節、各地で行われるようになりました。

 3月は卒業式など一つの締めくくりと、入学・入社式など一つの始まりとで、人の移動も多い頃といえるでしょう。下旬には桜の便りも届きます。

上杉の城下町米沢から奥座敷・小野川温泉へ(山形県)


米沢城跡にある謙信公を祀る上杉神社と鷹山公像

共同浴場や足湯、休み処などが整った小野川温泉街

旭屋旅館の夕食の米沢牛すき焼き(3人前)

河鹿荘の内湯と露天風呂せせらぎ(男女入れ替え使用)
 山形県最南部の米沢は上杉氏272年間の旧城下町です。それ以前は伊達氏が治めたように古くからこの地域一帯の中心地でした。

 上杉氏代々藩主の中で有名なのは窮乏極まりなかった財政を質素倹約、質実剛健をもって立て直し、米沢藩中興の祖と称えられる9代藩主・鷹山公(ようざんこう)こと上杉治憲(はるのり)です。封建時代にあって民主主義の思想を唱え、米国のケネディ大統領に「もっとも尊敬する日本人」に名を挙げられて改めて注目を集めた名君です。

 加えてNHK大河ドラマ『天地人』で改めて見直されたのが、藩祖上杉景勝の筆頭家老・直江兼続(なおえかねつぐ)で、米沢藩の礎を築いた知将です。また上杉に仕え、兼続との親交深かった文武に長けた奇傑・前田慶次も脚光を浴びるようになりました。

 上杉謙信公を祭神とする上杉神社や景勝、鷹山、兼続らを祀る松岬神社、上杉氏ゆかりの遺品や歴史を展示する上杉博物館などを見学。松岬神社に隣接する大きな物産館の上杉城史苑では米沢牛その精肉をはじめ味噌漬け、コロッケなど牛肉製品が多数売られていました。

 この日泊まった米沢郊外の小野小町ゆかりの小野川温泉の旭屋旅館の夕食はもちろん米沢牛すきやき。寒暖差の大きな気候、澄んだ空気、きれいな水、そして愛情込めた育て方から生まれたおいしい霜降り肉。これに温泉熱で育てるしゃきっとした豆もやしが独特の味わいを添えていました。

 小野川温泉は約1200年前、父を探すみちのくへの旅の途中で病に倒れた小野小町が、この地の温泉に浸かって癒えたいう伝説のある古湯です。源泉82.3℃の高温泉で、神経痛、リウマチ、創傷、皮膚病等に効く含硫黄‐ナトリウム・カルシウム‐塩化物温泉の掛け流し。14軒の旅館と2つの共同浴場、足湯、休み処、土産物屋などが道沿いにあり、心地よくまとまった温泉街をつくっています。なかでも気持ちのよいのは河鹿荘の開放感にあふれた露天風呂です。

<問合せ>
・米沢観光物産協会 ☎0238・21・6226
・旭屋旅館 ☎0238・32・2111
・河鹿荘 ☎0238・32・2221

雛で雅び添える近江八幡の商家の町並み(滋賀県)

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塀から見越しの松がのぞく新町の近江商人の広壮な屋敷

近江商人発祥の後押しになった秀次の置き土産の八幡堀

旧伴家住宅に期間中多数飾られる雅やかな雛人形たち

座敷でゆったり味わう品数豊富なランチの“喜兵衛膳”
 琵琶湖南東畔、近江八幡は織田信長が本能寺の変に倒れた3年後、豊臣秀吉の期待を背負って甥の秀次が八幡山に城を築き、近江43万石の城下町を開いた地です。

 京都を模した碁盤目状の町割りに、主・信長を失った安土城下の商人や職人を呼び寄せ、楽市楽座を開かせ、八幡堀を掘削して琵琶湖湖上の船の寄港を義務付けたので、商都としてのいっそうの活気を見せました。

 けれど秀吉に実子秀頼が誕生したことで、後継者をわが子にと思い募らす秀吉との関係が悪化し、謀反を理由に秀次は関白を解かれ、追放されて自刃を迫られ、城下町は10年で主を失います。

 城下の商人たちは各地に出かける行商に活路を見出す近江商人として活躍します。八幡堀に近い新町通りには、莫大な財を築いた商人たちの平入り、瓦葺き、格子、虫籠窓、中二階などの屋敷や白壁土蔵など広壮ながら質実な屋敷が今も昔ながらに佇んでいます。

 買う人、売る人、世間の“三方よし”を旨とした近江商人の精神が大いに繁栄につながったようです。蚊帳や畳表などで財をなした旧西川家住宅、歴史民俗資料館、郷土資料館、旧伴家住宅など江戸から明治にかけて建てられた懐深い魅力の町家が見学できます。

 八幡堀も風情のある一角で、江戸末期に建てられた商家を生かした「喜兵衛」で鯉の煮付け、近江牛、丁字麩、赤コンニャクなど郷土色いっぱいの喜兵衛膳を賞味しました。「板前料理ではなく、地元のおくさんたちと工夫を重ねた、まさしく郷土の家庭料理なんですよ」と女将の苗村香代子さん。

 帰路、今や全国的知名度になった菓子の「たねや」の日牟禮(ひむれ)の舎で最中や栗饅頭を土産にしました。

 3月21日まで旧伴家住宅や周辺の約30軒の商店では節句人形を展示。自由に見て回れる“節句人形めぐり”も楽しめます。

<問合せ>
・近江八幡観光物産協会 ☎0748・32・7003
・喜兵衛 ☎0748・32・2045

中尾隆之
中尾 隆之(旅行作家)高校教師、出版社を経てフリーランスライターに。月に10日は取材旅行の現場主義で、町並み、鉄道、温泉、味覚等の紀行コラム、エッセイ、ガイド文を執筆。とくにお菓子好きで、新聞、雑誌にコラム連載のほか、『全国和菓子風土記』の著書もある。2007年8月に「全国土産銘菓選手権初代TVチャンピオン」(テレビ東京系)に。