


干支の兔をかたどった置き物
新年とは言っても淡々とした時間の流れの続きに過ぎませんが、天体の動きに即して暦を改めることでリフレッシュさせたのは、古今東西を問わず人間の賢い知恵ではなかったでしょうか。
今年は干支では卯の年です。一般には兔年と呼ばれ、年賀状などには様々な兔の絵が描かれ、とかく、跳躍、飛躍などの言葉と結び付けられます。
「とかく」は漢字では「兎角」と書き、「兔角亀毛」=「あり得ないもの」を意味しますが、今では変じて「かれこれ」「なにやか」「ややもすれば」「とにかく」の意味に使われるようなりました。
兎にも角にも、今年もよい年でありますように祈ります。


歴史の面影と賑わい甦る旧北国街道の通り

商家を改装した長浜分福茶屋で食べた湖北セット1050円

長浜御坊として古くから親しまれる大通寺
その始まりは琵琶湖北東岸の長浜市郊外の小谷(おだに)城。茶々(豊臣秀吉の側室・淀君)、初(京極高次の妻)、江(2代将軍徳川秀忠の妻・3代家光の母)の三姉妹は、北近江を治めていた浅井長政を父に、市(織田信長の妹)を母にこの地で生まれました。
しかし伯父信長が越前・朝倉氏を攻略するに際して浅井長政は、姻戚関係の信長と、代々盟友の朝倉氏との間に立って苦悩します。しかし友誼を重んじて朝倉氏について戦いました。朝倉氏の滅亡とともに小谷も落城し長政は自害しますが、母と三姉妹は炎上する城から救い出されます。のちに母の柴田勝家との再婚に従って福井に移り住みますが、勝家と秀吉の主導権争いに巻き込まれます。2度目の落城と義父の死の憂き目に遭います。
そんな三姉妹の物語の前章に当たる長浜市は、皮肉にも小谷落城に大きな力を発揮した豊臣秀吉が初めて城持ち大名に出世、開かれた城下町です。今は合併して長浜市となった旧浅井町・旧湖北町では、ドラマでの主役の三女・江(ごう)を冠にした『江・浅井三姉妹博覧会』(1月15日~12月4日)が開かれます。
会場は「浅井・江のドラマ館」(浅井ふれあいの里・プラザふくらの森)、「小谷・江のふるさと館」(伊部親水公園特設会場)、「長浜黒壁・歴史ドラマ50作館」の3ヶ所。長浜城歴史博物館では「江」展(7月23日~8月31日)も催されます。
中心市街はここ20余年来、町興しに取り組み、北国街道の宿場町、商家などの城下町、大通寺の門前町などの面影がそこここで甦り、史跡はもとより、飲食・物産店など楽しみも多い観光地として見事に復興を遂げています。
昨年秋に訪れた時は準備に取り掛かっていましたが、今年は市を挙げての歓迎態勢が整っています。
<問合せ>・長浜市観光振興課☎0749-62-4111
長浜市高田町12-34
・江・浅井三姉妹博覧会実行委員会☎0749-63-5341
長浜市元浜町14-12
・長浜分福茶屋☎0749-62-0243
長浜市元浜町7-13


かまぼこ板で作ったモザイク画と金子みすゞ記念館

ほっこりしてウニの滋味が染みた名物うに釜めし2900円

市内の音信川沿いには風情に富む長門湯本温泉で温もって!
彼女が生まれたのは明治36年(1903)、青海島を前にする港町・仙崎です。盲腸のように1駅だけ飛び出た山陰本線の仙崎駅に降り立つと、みすゞの顔写真の看板に迎えられ、みすゞ通りを歩くとほどなく、みすゞの顔をモザイク画にした大壁が目に飛び込んで、正面に金子みすゞ記念館がありました。
ここは実家の本屋・金子文英堂の跡地。館内には26歳で自死したみすゞの作品、遺稿、遺品を展示。つらいことも多かった人生にもかかわらず、育まれた感性の豊かさ、優しさ、しなやかさを思うと詩がいっそう胸に染みてきました。
「お魚」……海の魚はかわいそう。/お米は人につくられる、牛は牧場で飼われてる、/鯉もお池で麩を貰う。/けれども海のお魚は/なんにも世話にならないし/いたずら一つしないのに/こうして私に食べられる。/ほんとに魚はかわいそう
北海道から来たという母娘は「百年も前の人とは思えません。やさしい言葉なのに今の時代にこそ響いてきますね」とため息をつくように話してくれました。
街には作品に詠まれた寺や神社、墓地などのゆかりが散歩コースになっています。
建物前のモザイク画はかまぼこ板で作られていますが、ここは仙崎かまぼこやフグ、ウニが特産品。「うに釜めし」も名物です。
<問合せ>・長門市商工観光課☎0837-23-1136
長門市東深川1339-9
・元祖うに釜めし浜屋☎0837-26-1436
長門市仙崎4137-5