風土47
旅行ライター中元千恵子の「ある日のひとり歩き」
このコラムでは、フリーのライターとして旅行やインタビューの仕事をしていく中で、おもしろいなと思ったことを不定期でゆるーくお伝えしていきたいと思います。

■一人の力がやがて……

 今月の特集でご紹介した「鰊(ニシン)の山椒漬け」の故郷は、会津若松市を中心とする会津地方です。

 会津若松のシンボルといえば鶴ヶ城ですね。城下町である会津若松は魅力的な町。町並み、工芸品、酒、郷土料理、町おこしなど、いろいろな取材をさせていただきましたが、その中の思い出の一つが七日町通り復活の取材。簡単にですが、ご紹介したいと思います。


 会津若松の町並みです。戊辰戦争の際、白虎隊の悲劇の舞台となった飯盛山から眺めた風景。

 古くから町の中心だったのは、会津若松駅隣の七日町駅周辺です。七日町通りは、藩政時代に主要道路であり、城下の西の玄関口として問屋や旅籠、料理屋が軒を連ねていました。

 その後も昭和30年代までは会津一の繁華街としてにぎわっていたそうですが、私が初めて訪れた20年前には閑散として通る人を探すのが難しいほどでした。


 この通りでひときわ目を引く格子窓の建物が、明治元年創業の元海産物問屋「渋川問屋」(旧渋川商店)です。

 会津は、江戸時代から、新潟港から阿賀野川に続く舟運によって、海産物の流通が盛んでした。北前船によって新潟港にもたらされた北海道産の身欠きニシンや棒ダラなどの乾物がこの地に集まりました。渋川商店の最盛期には、身欠きニシンの相場は会津で決まっていたそうです。


 現在は、食事や喫茶、宿泊もできる店となっています。大正時代建築の木造の店内はレトロな雰囲気。明治時代建築の蔵が宿泊施設になっています。

 店内では、会津三大乾物と呼ばれるニシン、棒ダラ、貝柱を使った煮物や汁物が味わえます。会津地方の祝いの席に欠かせない「こづゆ」も。貝柱の出汁が上品です。

 七日町通りは、今では“大正ロマンが漂うレトロな町歩き”というキャッチフレーズで観光客に人気の通りとなりました。

 そのきっかけは、渋川問屋の主人である渋川恵男さんが東京から戻り、閑散としていた七日町通りを何とか復活させようと平成6年に「七日町まちなみ協議会」を発足させたことでした。明治、大正期の建物が多いことに着目し、地元の人たちを説得しながら、地道にレトロな町づくりに取り組まれたそうです。

 この活動により、当初、七日町通りを歩く人が2日間でゼロという状況から、1日1000人前後というところまで回復したそうです。渋川さんは国土交通省観光庁の観光カリスマにも選定されています。


 私は平成20年頃、雑誌の仕事で、“町おこし”というテーマで渋川さんにインタビューさせていただいたのですが、「最初、よそものって言われて苦労してね。でも何かしようとしたら悪く言われるのは覚悟しないと」と話されていたのを覚えています。

 俳優さん?というくらい雰囲気のある方で、いい写真が撮れたのですが、ここに掲載できないのが残念。詳しい活動は観光庁のHPにも掲載されています。

 写真は会津の一風景です。


 会津若松では、名所を巡回する「ハイカラさん」というバスも運行しています。

 最初の今月の特集の話に戻りますが、「鰊の山椒漬け」と地酒をぜひ本場で味わってみてください。

中元千恵子
中元千恵子 旅とインタビューを主とするフリーライター。埼玉県秩父市生まれ。上智大卒。伝統工芸や伝統の食、町並みなど、風土が生んだ文化の取材を得意とする。また、著名人のインタビューも多数。 『ニッポンの手仕事』『たてもの風土記』『伝える心息づく町』(共同通信社で連載)、 『バリアフリーの宿』(旅行読売・現在連載中)。伝統食の現地取材も多い。(朝日新聞デジタル連載記事