風土47
旅行ライター中元千恵子の「ある日のひとり歩き」
このコラムでは、フリーのライターとして旅行やインタビューの仕事をしていく中で、おもしろいなと思ったことを不定期でゆるーくお伝えしていきたいと思います。

■たかが観光、されど観光

 頭で理解したつもりになっていたことが、何気ない体験で“腑に落ちる”ことがあります。それを一つ思い出しました。前置きが長くなりますが……。
 それは秋田県内陸部の仙北市にある抱返(だきがえ)り渓谷の取材に出かけたときのことです。
 抱返り渓谷は鮮やかな空色の清流が特徴の美しい渓谷です。

 青い川面が本当にきれい。新緑、深緑もですが、紅葉の美しさは格別。片道1.5㌔、徒歩約30分の遊歩道が整備されています。

 抱返り渓谷のそばに(そばと言っても車で20分ほど)、一軒宿の夏瀬温泉「都わすれ」が立っています。夏瀬温泉は古くから地元の人たちに愛されてきた名湯。しばらく閉鎖された状態でしたが、9年ほど前に、今のオーナーによる「都わすれ」が誕生しました。

 こんな素敵な露天風呂付きの部屋もあります。人里離れた大自然の中の一軒宿は、まさしく都の喧騒を忘れるのにはぴったり。芸能人の訪れなども多いそうです。

 当初はお風呂だけ撮影させていただき、他の宿に泊まるはずだったのですが、宿の社長さん曰く「うちの良さは泊まっていただかないと分からないから」と。
 確かに客室も泉質もお風呂もよかったのですが、その食事とサービスは感動しました。

 食事処に旬の食材が運ばれてきます。こんなウニも登場。

 イワナの塩焼きもおいしかったです。

 秋田産の由利牛も目の前で焼きます。

 比内地鶏つみれ鍋も宿の人気メニューだそうです。

 田沢湖産の根曲がり竹も。
 料理のおいしさはもちろんなのですが、この合間に、口が脂っぽくなったなと思ったらお茶が出て、手が汚れたなと思ったらおしぼりが出て……。と、その配慮に感服します。

 これはデザート。
 この日の夕食は、たまたま台湾から来た宿泊客の方々とご一緒でした。デザートが出るころ、その中のお一人が「日本の旅館の心配りはすばらしい」としみじみおっしゃいました。そして、日本に来るたびに、日本人の人を思いやる心に感動する、私は日本が大好き、と。

 そのとき思い出したのが、まだ私が若かったころ聞いた先輩旅行ライターAさんの言葉です。あるパーティで名刺交換した男性が「なんだ、観光のライターか」とAさんの名刺を丸テーブルの上に投げて立ち去ったのです。私はびっくり。でもAさんは泰然として「たかが観光、されど観光。国際交流による相互理解ってやつにかなり役立ってるよなぁ」と。夏瀬温泉の夜、台湾の方に言われた言葉で、あの時は今一つピンとこなかったAさんの言葉、観光の意義が腑に落ちました。ちゃんと仕事しなきゃ、と改めて思った次第です。
 ちなみに写真は、海苔一枚の産地にもこだわった朝食。おいしかったですよ。
中元千恵子
中元千恵子 旅とインタビューを主とするフリーライター。埼玉県秩父市生まれ。上智大卒。伝統工芸や伝統の食、町並みなど、風土が生んだ文化の取材を得意とする。また、著名人のインタビューも多数。 『ニッポンの手仕事』『たてもの風土記』『伝える心息づく町』(共同通信社で連載)、 『バリアフリーの宿』(旅行読売・現在連載中)。伝統食の現地取材も多い。(朝日新聞デジタル連載記事