奇跡の復活を遂げた感動の味|高津堂 元祖もみぢ饅頭

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 広島銘菓としてあまりに有名な「もみじ饅頭」。
 数あるメーカーの中でも、抜群のおいしさと『風土47』が太鼓判を押すのが高津堂の「元祖もみぢ饅頭」だ。しっとりもちもちとした食感の生地、やさしい甘さの餡。葉脈まで描かれ、自然に曲がった姿かたちも愛らしい。

 実はこの高津堂の「もみぢ饅頭」こそが、広島銘菓「もみじ饅頭」の元祖なのだ。

 ユネスコ「世界遺産」にも登録された厳島神社のある宮島。そこで、明治39年(1906)、高津堂の初代・高津常助氏が「紅葉型焼饅頭」を完成し、販売を開始した。

 “名人”とよばれた和菓子職人が作るこの饅頭は、日にちが経ってももちもちしたやわらかさが変わらないと大評判で、焼きたてを買おうと店に行列ができたという。
 常助氏は、ほかの職人が同様の紅葉型の饅頭を作ることを嫌がらなかった。それは、絶対に味で負けることはないと腕に自信があったからだ。

 その後、戦争などの影響もあって、高津堂では製造が途絶えていたが、三代目の加藤宏明社長が約10年前に復活させた。レシピもない中で、「元祖の味を思い出した」「おいしい」と絶賛される味を再現。毎日、ほぼ完売と大好評を得ている。

 「元祖もみぢ饅頭」が復活した2009年7月18日は、奇しくも初代が「紅葉型焼饅頭」を商標登録した明治43年(1910)7月18日と同じ日付。この一致に、加藤さんは「祖父が背中を押してくれたような気がします」と話す。
 この奇跡の復活の物語は、地元の教科書にも掲載されたそうだ。

 高津堂では、「元祖もみぢ饅頭」のほか、“福”の焼印と紅白の餡がお祝い事にも喜ばれる「福もみぢ」、広島名産のレモンを使った「広島レモン餡」、西条の酒粕を使用した「酒香るもみぢ」、季節の「桜あん」や「栗あん」「ラムネあん」なども製造している。
 時代を超えて多くの人に愛され続ける「元祖」の味。最後に問い合わせ先を記載しているので、この機会にぜひ味わってみてはいかがだろう。「もみじ饅頭を買うならこれ」とファンになること間違いなしだ。

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■「君のおじいさんがもみじ饅頭を作ったんだよ」。少年の心に復活への気持ちが芽生えた

 
 「初代、つまり私の祖父ですが、『常助ではなく呑み助だ』といわれるほどお酒好きだったようです。遊びも大好き。
 ただ、菓子作りにかける情熱は人一倍で、『お客様に喜んでいただけるように』と、頑固なまでに妥協を許さない人として有名でした」と、三代目の加藤社長は話す。

 そんな職人気質の初代の常助氏が「もみぢ饅頭」を作るきっかけは、明治の元勲・伊藤博文公にあるという。

 伊藤公は、厳島神社のある宮島の名所、紅葉谷公園をたびたび訪れていたが、ある日、紅葉谷の入り口にある茶店でお茶を出してくれた娘の手を見て「モミジのようにかわいい手を食べてしまいたいね」と冗談を言った。

 その話を伊藤公の常宿だった「岩惣」の仲居から聞いたのが、宿に和菓子を納めていた常助氏だった。

 

初代のころに使われていた商品ラベルのデザインを今もパッケージに使用。歴史を感じさせる
 
 
 

現在、高津堂はJR宮島口駅から徒歩3分にある
 
 その仲居さんの勧めもあって、試行錯誤の末、「紅葉型焼饅頭」、通称「もみぢ饅頭」が完成。紅葉谷公園の入口にあった店舗には、「元祖もみぢ饅頭 高津堂」と書かれた木製の大看板が掲げられていたという。

 大人気の商品だったが、昭和16年(1941)から10年間は戦争の影響で材料が入荷できず、製造を中断。そして昭和26年には初代が他界してしまう。

 職人気質で「味や技は盗むもの」というタイプの常助氏はレシピを残していなかった。初代と同じ味が再現できなかった二代目の昇氏は「先代の名を汚したくないと」と、しだいにもみぢ饅頭を作らなくなったという。高津堂も島内から宮島口に引っ越し、酒屋に転業した。

 
 
 
 加藤社長は、小学生のころ、宮島の参道にたくさんのもみじ饅頭の店が並び、「元祖」と書いた看板も多く見かけたことを覚えている。

 近所の人たちに「君のおじいさんが最初にもみじ饅頭を作ったんだよ」といわれることもたびたびあったことから、不思議に思った加藤少年は、二代目である父親に「高津堂が元祖なんでしょう?」と尋ねたそうだ。

 すると、「父は『ええじゃないか。もみじ饅頭でみんなが栄えれば、おじいさんも喜ぶじゃろ』と言いました。『そうだな』と納得はしたものの、その時、いつか復活させたいという想いが芽生えたように思います」と、加藤社長は話す。

 

店内に立つ三代目の加藤宏明さん
 
 

■「うれしゅうて、楽(たの)しゅうて」。半年で元祖の味を再現

 
 それから「元祖もみぢ饅頭」の復活までには、40年以上の時が流れる。なぜなら、宮島口に移った高津堂は酒や飲料品を扱い、商いも順調で酒屋業に専念していたからだ。

 復活に向けて歯車が動き始めたのは、約10年前。酒類販売の規制緩和が進み、店の売り上げが落ち始めた。
 このままではいけないと商工会議所に経営の立て直しを相談に行った加藤社長は、経営革新を勧められた。

 「『これからどうしたいですか?』と聞かれたときに、小さいころから心の中にあった『もみぢ饅頭を復活させるのが夢です』という言葉が口をついて出ました」と話す。

 “ピンチはチャンス”の言葉は、こういう状態を指すのだろうか。

 

100年前、初代が使っていた焼き型が今も残されている
 
 
 

一つ一つ丁寧に手で焼き上げる。写真は四代目の加藤久幸さん
 
 「それはいい、やってみましょう」ということになり、復活に向けた活動が始まった。
 加藤社長が55歳の時だった。

 レシピもない、和菓子作りの経験もない状態でのスタート。さぞ苦労されたのではないか、とうかがうと、「それが、うれしゅうて、楽(たの)しゅうて、苦労とは思わんかったんです」とのこと。

 協力者も自然に集まり、なんと半年ほどで納得できる味が完成した。

 「知り合いの和菓子屋さんがあんこや生地の基本を教えてくれました。初心者だから素直に聞けたのも良かったのでしょう。

 
 
 
 粉の配合などは、『こうかな?』と作ると、予想した味になりました。まるでおじいさんがついてくれているようで、『これがDNAか』なんて思いましたね」と、加藤社長は明るく話す。

 こうして2009年7月18日に「元祖もみぢ饅頭」の販売が再開された。それは、初代が商標登録した日から数えて、ちょうど99年目の同じ日だった。

 約100年の時を紡ぐ物語。
 しかし、「元祖もみぢ饅頭」が復活されることは決まっていたような気がする。

 なぜなら、引っ越しや転業をしても、初代が使った約100年前の焼き型がそのまま残されていたからだ。この焼き型を復刻して、デザインはそのままに使われている。

 

今ではバリエーション豊かな「もみぢ饅頭」が作られている。紅白の餡に粒状の栗を入れた「福もみぢ」も人気商品
 
 
 

抹茶を加えた生地で、抹茶にあうミルク餡を包んで焼いた「新緑もみぢ」など、アイデア商品もいっぱい
 
 高津堂のもみぢ饅頭は、餡は余計なものは加えず、砂糖と小豆で後味までやさしい上品な甘さを表現。生地は小麦粉に米粉を加えてしっとりもちもち。復刻デザインの焼き型に入れて一つ一つ丁寧に手焼きで焼き上げている。

 会社員なら定年も近い55歳で夢に向かって一歩を踏み出した加藤社長。夢の実現に年齢制限はない、と勇気を与えてくれる。

 そんなエピソードを思い出しながら味わいたい、心温まる幸せな味の高津堂「元祖もみぢ饅頭」だ。

 
 

■「元祖もみぢ饅頭」のお問い合わせ先

 
高津堂
 
  http://takatsudo.com
 
  ☎0829・56・0234
  広島県廿日市市宮島口西2-6-25
  営業時間:8:00~19:00(不定休)
 
 
 
 


取材 中元千恵子(トラベルライター、日本旅行記者クラブ、日本旅のペンクラブ会員)